憲法について2

第一章 天皇

考察1

天皇は象徴symbolなのか、元首headなのかということの議論は、中曽根試案というものに書かれていることらしい。

このことについて、私が思うには、象徴の方が現代に合っていると思う。だから、これを元首にするのは不適当であると思う。なぜなら、象徴と元首とでは、当然のように象徴の方が、その天皇のはたらきは小さいと思うのだが、これは歴史の流れに沿っているからである。

4つの89、つまり、1689イギリス権利章典、1789フランス革命、1889大日本帝国憲法の制定、1989天安門事件になど社会主義体制の崩壊、を経て確立され、既に円熟期か、若しくは瓦解期に入ったと思われる民主主義は、王政や封建制からの移行であった。そうであるのに、これをまた古い王政や封建制に近付けようというのは、まさに、川に沿って太平という海に向かう水に川を遡らせ、注ぎ込んで人によって利用されるはずであった肥沃な大地を去らせ、そうして滝を遡らせるようなことであると思うからだ。不自然であることこの上ない。


考察2

次に、大日本帝国憲法55条などで使われているとされる「輔弼」という表現、これはどう考えても荀子がその根本になっている。

以下 拙訳抜粋(荀子臣道第十三 二章)

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 君主が、過った考え方をして過った事を犯して、国家を危うくして自分の国のお社を守れなくなってしまうような可能性のあるとき、

 大臣や父兄に当たる人が君主に進言して、これが用いられれば良しとなるのだけど用いられなければ去るということがある。これを「諫(いさめる)」と言う。

 君主に進言して、これが用いられれば良しとなるのだけど用いられなかったとき死ぬしかなくなるときがある。これを「争」と言う。

 皆で知力を合わせて力を一つ同じ所へ向け、群臣百官をうまく統率して、君主に強いて君主を矯正して、君主の心は落ち着かなくてもその言うことを聴かざるを得ないようにして、遂に国の大きな患いを説いて国の大害を除いて、君主を尊んで国を安んずることを成功することがある。これを「輔(たすけ)」と言う。

 君主の命令にしっかりと抗って、君主の権力をうまく利用して、君主の行う事業に反対して、そうして国の危険を安んじて、国の辱めを除いて、功労と征伐は国にとっての十分に大きなものとなることがある。これを「拂(はらいのける)」と言う。
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このように表現されている。王の権力が重ければ、疎んぜられることを覚悟して諌め、それでも駄目なら、殺されたり亡命するしかない。しかし、輔弼ということであれば、君主をあくまで「コントロールする側」の意見であることが分かる。こういったわけであるから、大日本国憲法でも、君主は歴史的に軽んじられたこととして認識できると考えられる。


考察3

次に、現憲法天皇の地位は、「第二次大戦の“苦い経験を生かして”制限されることになった」という表現を見るけれど、これはそうではない。

これは天皇制が悪かったことによるのでなくて、輔弼という言葉の意味を知らずに、また、天皇をとりまく環境が周密であったことによって起きたことであるのだ。

第二次大戦の要因の一つに、軍部と内閣の意見の食い違いと、軍部の暴走というのが挙げられるらしいが、統帥権を持つ天皇が、はっきりと物言いをして、自分の宣言を公にしなかったから、このように、二つの機関での意見の食い違いが出てしまったのである。

仮に、天皇がはっきりと、「統帥権を行使して戦争を進める」と宣言していたとしたら、軍部は戦争を続けることとなって、内閣はそれを輔弼することになっていたであろう。(ここで、軍部と内閣に意見の食い違いが出るかもしれないが、天皇には「大命降下」の権限があるから、内閣が変わらなければならないという議論になっていたはずである)

逆に、天皇がはっきりと、「統帥権を行使して戦争を進めない」という宣言をしていたとしたら、軍部は戦争を続けることはできず、内閣はそれを輔弼することになっていたはずである。(天皇が判断を決めかねて迷っていたとも考えられる)

だが、このいずれにしたところで、問題は、天皇天皇をとりまく環境にあったのであって、天皇制と大日本帝国憲法に問題があったから、第二次大戦が行われたことにならず、こういったわけであるから、日本国憲法天皇の権能が制限されたのは、別の理由であるはずである。そして、その別の理由と言うのが、「天皇制が時代遅れで社会に適合していなかったから」ということに他ならない。

だから、「天皇の権能が制限されたのは戦争の失敗からである」というのは邪説であって、正論では「天皇の権能が制限されたのは時代と社会に適合していなかったからである」ということになる。

荀子の周密に関する理論
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130608/1370654002

考察4

衆議員解散についてであるが、これは知らなかったのだけど、この衆議院の解散権は、天皇の国事行為を明記した憲法第七条だけに則って行われていることであって、時の内閣総理大臣や内閣に、事実としてそれを行う権利が明記されているわけではない。ということである。しかも、今読んでいる本によると、この行為が行われ出したのは、小泉内閣の時が初めてで、最近では、頻繁に行われて当たり前のようになっているけれど、あまり歴史的なことではないらしいということである。