逆行共産主義化する日本

日本は、現在、「逆行共産主義化」とでも言える状況になっているのではないか。

取り敢えず、「共産主義」が何であったかについてだけ、私の理解する範囲で簡単に説明したいと思う。

共産主義とは、マルクスエンゲルスによって、フランスやドイツを中心に訴えられた社会体制のことである。そして、旧ソ連にて、レーニンなどによって少し考え方は変えられたものの、大枠は同じ状態のままで、実際に社会体制として実施されることとなった。しかし、「どれだけ頑張っても得をしない」という、共産・社会主義自己実現性の低さは、そこに住む人の生産活動への意欲を殺いでしまった。このことが致命的な欠点となって、この社会体制は事実上、失敗したのである。

そして、マルクスエンゲルスが、どうして共産主義を目指したかと言うと、彼らの生きていた時代は、労働条件があまりにもひとどく、「労働者階級(プロレタリアート)」が「富裕層・特権階級(ブルジョワジー)」によって、搾取されていた。この理不尽な社会体制をどうにかしたいと考え、マルクス共産主義という社会体制を発明したのである。そして、この考えは広められて、共産主義は上に書いたような経緯を辿ることとなったのである。

では、共産主義という社会体制がどういったものかと言うと、「共産」とあるように、みんなで共に生活必需品を産み出そうという社会体制である。そのように、みんなで生活必需品を作るのだから、生活必需品はあくまでみんなのものであり、食料その他、生活に必要なものは、対等な立場の人同士でわけ合うことになるのである。分け合うのならば、誰かが誰かを搾取するということはなくなる。けれど、みんなで何かやろうと思うと、意志の統一が必要になる。だから、ソ連ではスターリンという独裁者が生まれてしまった。けれど、みんなは物的な面では平等になって、誰かが誰かを搾取するということは無くなった。その代わりに、働く気が無くなって、社会全体で物が足りなくなったのである。

次は、この話を踏まえた上で、現在の日本について考えてみたい。

確かに、現在の日本は自由が保証されて、自分がこうしたいと思えば、そうすることができる。けれど、それには限界がある。というのも、「おれは社長になりたいんじゃ」という人が、5千万人居た場合のことを考えてもらえば分かる。それに「おれは残業なんてしないで、家族を養いたいんじゃ」という人がたくさん居ることは、間違いないだろうけど、それがどれだけ実現されているか?そんな考えなくても分かることである。だから、自由だからといって、自分の思った通りになるとは限らない。そこには限界があって、思い通りにはならないのである。そして、結局、思い通りにならなかった結果は、「ブルジョワジーによるプロレタリアートの搾取」なのである。これは、天下りとか、ブラック企業とかのことを考えてもらえば、すんなり了解してもらえることだと思う。(金融業も場合によっては搾取する部類に入る、ただ間接的に搾取しているので分かりにくい)

では、日本政府は何をしているのだろうか?法人税を上げたり、消費税を上げたり、相続税所得税累進課税制度にした上で税率を上げたりして、なんとか、「金を多く持っている人」から多くの金を集めようとしている。そして、この集めた金をどうしているのか、というと、社会保障という名前で、庶民に分け与えているのである。つまり、「ブルジョワジー」から巻き上げた金を「プロレタリアート」に、分け与える業務が、現在の日本政府の仕事なのである。気がついていただけるだろうか、日本政府のやっていることは、実は、共産主義と本質的に同じなのである。なぜなら、日本政府は「日本国民”みんな”で儲けたんだから日本国民”みんな”で分配しましょうね」という考え方のもとに、予算を編成し、税率を定めているのだから。

とすると、政府が共産主義化したのなら、搾取は減るはずではないか?と考えるのが妥当であろう。しかし、そうなっていない事実は、多くの人が実感しているし、上にも述べた通りである。

だから、表題で、「逆行共産主義化する日本」としたのである。

過程(やっていること)は共産主義に近付き、結果(それが国民に及ぼす恩恵)は共産主義から遠ざかる。これこそが、現象面で見た、現在の日本の経済状態と政治なのである。つまり、現在の日本の国家社会体制は、図らずも過程と結果が逆行する共産主義国家、つまりは逆行共産主義国家となっているのである。アメリカで搾取がどれほどあるのか分からないけれど、デモとかから伝わってくる様子では、明らかに日本と同じであり、これは他の先進国と言われる国でも同じであろう。もうひとつ言えば、物が過剰生産になって、これも共産主義の結果と相反していることも興味深い事実である。