新自由主義とは

荀子の現代語訳に勤しんで、かれこれ半年くらい経ったけど、かなり物事を上の次元から眺められるようになった。

そう思ったのは、図書館で「新自由主義復権中公新書を借りてきたことなどが発端だ。10pまで読むまでは、面白いなとか思っていたのだけど、その辺まできたとき、「これは知識でしかない」と思ったのだ。他にも二冊くらい経済の本を借りてきたが、もう読む気がなくなってしまった。

荀子の理論に当てはめれば、この人の語っていることは、知識のことや、末端のことでしかない。こんなことは説明されればわかることで、そんなことに議論を費やしているより、至約なる知恵を身につけた方がはるかに効用がある。

もちろん、議論したり人に認められたりするためにはこういった本を読む必要もあろうが、まだその時期でない気がする。

そしてこの人が言いたいのは、どうも「新自由主義においては、個人の経済活動の自由を保障するために、また、フェアにするために、適切に政府がその環境を整えていくことが政府の仕事となる。だから、無闇に小さい政府にしていくことが新自由主義ではないし、規制を緩和するのが新自由主義でもない。個人の経済活動を自由にし、また円滑にするため、政府が適切な規制を行うことが新自由主義なのだ。」ということになる。つまり、この根幹を探ってみれば、「人間個々人の自由な(経済)活動が、公平に行われることによって、全てのそれぞれの人が、また社会が、善くなっていく」という考え方に基づいているに過ぎないように思う。まあ、10ページしか読んでいないわけだから、見切るには時期尚早というものかもしれないけど、こんなことであろう。

ケインズの理論がこれと対を成すとするならば、ケインズ理論の根幹は「人間個々人の自由な経済活動だけでは、全ての人に幸福は訪れないし、社会も善くはならなない、だからそれを導く政府とその政策が善いことが前提となるのだ。」ということになるのであろう。

これに対して、荀子は「至平」という概念を掲げている。全ての人が自分の居場所に安んじて、全ての人が自分の能力に見合った仕事をする。そして百工が一人のために多種のものを作って、それが公平に分配されること、これが至平であり、これを実現するための方法は、礼を明らかにすることにある。としている。

だから、ハイエクの理論もケインズの理論も、荀子の理論から言わせれば、一方法論でしかないことになる。そして、この一方法論たちをも含めたものを明らかにすることが、礼を明らかにすることに他ならない。

このようにして考えてみれば、礼を明らかにすることが最も重要なのであり、ケインズハイエクも一方法論を唱える一専門家でしかなく、荀子の理論は明らかにさらにその上の理論を説いているのである。