127.荀子 現代語訳 強国第十六 三章

三章

 公孫子という書物によると、楚の子発は将軍として蔡を攻撃して、蔡に勝って蔡候を捕えた。そして、楚に帰って命令を達成したことを報告してこのように告げた「蔡候は自分のお社を楚の国に奉って楚に帰属しました。私は二三人の人に託してこの地を治めるようにしました」と。既に楚は子発に対して報償を出していたのに、子発はそれを辞退して言った。「誠意を発して命令を出して敵を退けたのは王のは君主の威であります。軍隊がともに攻め合って敵を退けたのならこれは将軍の威であります。合戦して力を用いることによって敵が退いたのならこれは兵衆の威であります。臣下私は兵衆の威を用いましただけですから報償を受けることはできませぬ」と。

 これを批判して言うには、「子発が命令を達成したのは恭であるけれども、報償を辞退したのは意地(固)でしかない。賢者を尊んで能力者を使い、功績のある者を表彰して、有罪の者を罰するようなことは、ただ独り楚王だけがこれをしているのではない。これは先王の道であり、人を一にする本なのであり、善を善として悪を悪とする応(形に現れた受け応え)なのである。治めるとき必ずこれを本とするのは古今で同じなのである。

 古えの明王が大事を挙行して大功績を立てるとき、大事が既に広く行き渡って大功績が立っているのならば、君主はその成功を享受して群臣はその功績を享受して、士大夫は爵録を益して役人は報酬が益して庶民は俸禄が益すのである。こうすることによって善をなす者が勧められて不善をなす者が阻まれて、上下は心を一つにして三軍は力を合わせて、これによって百事は成功して功名は大なるものとなるのである。

 そうであるのに、子発だけ独りそれをしなかった。先王の道に反してさらに楚国の法を乱して、功績を挙げた臣下たちを貶めて、賞を受けている他の人に恥をかかせて、身内に死刑となった者がいるわけではないのに、子孫に肩身の狭い思いをさせることになった。自分では廉潔であると思っているかもしれないが、この過ちの深いことなんと甚だしいことであろう。だから、子発が命令を達成したことは恭であるけれど、その報償を受けなかったことは固(無用な意地)だという言うのだ。」


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■この文章構成は、韓非子の難に似ている。つまり、一見して美談に見える話を論駁するのである。

■これと同様の話が論語にもある。ヨウ也第六より「子華が斉に使いに出たときのこと。冉子が子華の母のために穀物を与えてやって欲しいと頼んだ。孔子は『八斗四升与えよ』と言った。冉子が少ないからもう少しと頼んだ。孔子は『一石六斗与えよ』と言った。冉子は結局八十石を与えた。孔子は言った『子華は斉に向かうのに、太った馬に乗って、高級な皮衣を着ていた。わしが聞くところによると君子は切迫している者を助けはするが、富をさらに益すようなことはしないと』
 原思が孔子の家の宰相となったとき、俸禄として穀物九百を与えたのだが、原思はこれを辞退しようとした。孔子は言った『辞退してはならぬ。受け取って余りがあるのなら、おまえの隣里郷党の者に分ければいいではないか』