125.荀子 現代語訳 議兵第十五 九・十章

九章

 そもそも人を兼ね合わせることには次の三つの術がある。徳によって人を兼ね合わせること。力によって人を兼ね合わせること。富によって人を兼ね合わせること。

 彼らはこちらの名声を貴んでこちらの徳行を美しいものとしてこちらの民衆になろうとし、そのために門を開いて道を掃除してこちらが彼らの町に入ることを迎え入れ、こちらも彼らの旧習を拠り所として彼らの旧習を踏襲して百姓が皆安んじ、立法と政令にも皆が従ってこちらに親しまないということはない。こういったわけであるから、土地を得れば権勢はさらに重くなり人を兼ね合わせて兵はさらに強くなっていく、これが徳によって人を兼ね合わせることである。

 こちらの名声を貴ぶわけではなく、こちらの徳行を美とするわけではなく、彼らはこちらの威圧を畏れて権力に脅かされ、このために民衆が離反したいと思っていても反乱を起こそうとまでは思わない。このようであるならば、治安兵が多くなってこの人達を養う費用がかさむばかりである。こういったわけであるから土地を得ても権勢はどんどん軽くなり兵もどんどん弱くなっていく、これが力によって人を兼ね合わせることである。

 こちらの名声を貴ぶわけではなく、こちらの徳行を美とするわけでなく、彼が貧しいことによって富を求めて飢えを満たすことを求め、腹を空かせて口を張ってこちらの食物を目当てにする。このようであるならば、必ずかの穀倉を開いてこの人達を養うこととなり、この人達に財貨を与えてこの人たちを富ませ、気の良い役人を立ててこの人達に接し、そうして三年の時を経てからやっと民衆を信じることができる。こういったわけであるから、領地を得れば権力はさらに軽くなって人を兼ね合わせて国はさらに貧しくなることとなる。これが富によって人を兼ね合わせる者である。

 この故に、徳によって人を兼ね合わせる者は王となり、力によって人を兼ね合わせる者は弱く、富によって人を兼ね合わせる者は貧しい、というのは今も昔も変わらないのである。

十章

 兼ね合わせることだけなら簡単にできることである。しかし、固く平定することが難しいのだ。

 斉は宋を併合したのであるけれど平定することができなかった。だから魏によって奪われてしまった。
 燕は斉を併合したのであるけれど平定することができなかった。だから田単によって奪われてしまった。
 韓の上党の地は百里四方で、完全に富みの足りた状態で趙に寝返ったのであるけれど、趙は平定することができなかった。だから秦に奪われてしまった。

 この故に、併合することができたとしても堅く平定することができなければ必ず奪われることとなる。併合することもできないでさらに所有している土地を堅く平定することもできないなら必ず亡んでしまうこととなる。しっかりと平定することができるのなら必ず併合することもできる。土地と民衆を得て堅く平定することができるのならば、兼ね合わせていくことに限りがなくなることになる。

 昔、湯王は薄の地に起こって、武王はコウの地に起こって、これらは皆百里四方の土地であったけれども、天下は一つになって諸侯は臣下となった。これには他の理由などない。土地と民衆をしっかり堅く平定したからである。

 だから士を平定するためには礼によって、民衆を平定するためには政治による。礼が備われば士は服して、政治が平らかであるならば民衆は安んずる。士が服して民衆が安んじるなら、これを大凝(大平定)と言って、守れば固くて遠征を行えば強く、命令は行われて禁止されることは行われなくなり、そうして王者の事が終るのだ。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■これでやっと岩波文庫の上巻部分が終わった。つまりやっと半分である。ここまで来るのに半年かかったから、やはり全部終わるのには、もう半年ほどかかって、全部で凡そ一年かかるということになりそうだ。なんとかここまで来れたのも読んで下さる方が居ると思えばこそです。ありがとうございます。これからも応援よろしくお願いします。

■本文中で「平定する」とか「堅く平定する」と訳している部分は、本文だと「凝」とあって、岩波文庫の書き下し文には「凝(定)(さだ)むる」と書かれている。

■今の日本の中国人研修生制度、在特制度などは、まさにここのうちでも、「富によって人を兼ね合わせる者」に相当するだろう。そして、国は貧しくなっている。中国は「力で人を兼ね合わせる者」であろうが、空母建設などしても国家権力自体は弱まっていくばかりで今にも民主制度によって打倒されんばかり、荀子の言うことは現代でも十分通用する。