52.荀子 現代語訳 儒効第八 一章

儒効第八

一章

 大儒の功績。

 武王が亡くなって成王がまだ幼かった時、周公が成王を退けて武王の後を継いで、天下の人心を周につないだのは、天下が周に背くことを恐れたからである。天子の位となって天下の政治を取り行い、あたりまえのようにその地位を所有しているかのようであったが、天下の人は貪りによってそうしているとは言わなかった。殷の残党と結託して反乱を起こした自分の兄である管叔を殺して、殷王朝を完全に滅亡させたけれど、天下の人はそれを道理に外れたことだとは言わなかった。天下を制して、七十一の国を建て、そのうちの五十三の国の王は姫性(周王朝の血縁者)であったけれど、天下の人はこれをえこひいきだとは言わなかった。

 成王を教え導いて道に就くようにし、文王と武王の跡を継がせ、最後には自分の天子の位を成王にひるがえしたのであるけれど、天下は周から離反するような事は無かった。もっとも、その後も周公は政治に携わっていた。天子というものは、幼くして務めることのできないものであるし、摂政が居れば良いというわけではない。能力があるのなら天下の人はその人に随うことに満足し、能力がなければ天下はその人を見放してしまうからだ。

 こういったことであるから、周公が成王を一時退けて武王の後を継いで天下を所有したのは、天下が周から離れることを恐れたからである。成王が成人してから、周公が周の籍を返したのは、主を滅ぼそうとしたわけでない義を明らかにするためである。

 周公が前には天下を保っていたのに、今やそれを所有していないのは、天下を譲ったというわけではない。成王が天下を所有していなかったのに、今や天下を所有しているのは奪い取ったというわけではない。これは時勢変化の秩序とその節目を守り、その自然の流れに沿ったに過ぎないのだ。(●是れ変勢次序の節の然らしめしなり)

 だから、本家の血筋を尊重せずに周公は位を継いだわけであるけれど、それは道理を通り越したのではなく、弟であるのに兄を殺したのであるけれど、それは暴力でなく、周公は天子から臣下となったのであるけれど、それは物事の順序を弁えていないということでない。天下の調和によって文王と武王の業績を完遂して、枝と主の義理を明らかにしたのである。確かに表面的には天子が変化したのであるけれど、天下はそれを何ごとも無かったかのように受け入れて、その前後で何も変わらなかったのである。聖人でなければ、このようなことはできない。こういったことを大儒の功績と言う。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■ものごとは、自然であることが一番だ。冬に火を焚かず凍え、夏に火を焚いて暖を取ることは不自然であり、腹が減っているのに何も食わず、満腹であるのに過剰に食べることをするならこれは不自然である。荀子の言っている大儒の功(いさおし)とは、複雑な事がらでも、こういった不自然なことをしないことである。また、この「自然なこと」を全うすることが、道徳であり、ソクラテスの言う愛智の営み(哲学)であり、荀子の言う王道でもある。当たり前のこと(自然なこと)は、最も簡単であるが、それと同時に最も難しいことなのである。