51.荀子 現代語訳 仲尼第七 四・五章

四章

 天下の行術とは、君主に仕えるならば必ず通じて、人のためにするならば必ず聖であることである。

 一つの信念を立ててそれを疑うことなく、それができてから、それを大事にしてへりくだって人々の先に立ち、まごころと裏表のない心で人々の心を統一し、慎み深く慎重にしてこの信念を実行して、素直で正直な心でこの信念を守り抜き、どれだけ行き詰まって困窮しても力を尽くしてこの信念を自分の礎として不動のものとする。自分が人から認められる事は無くとも、人や天を怨んだり落ち込んでしまうようなことはなく、自分の功績が甚大なものとなったとしてもそのことを鼻にかけるようなことはなく、求めることを省いて少なくし自分の功労を多くして、何に対しても大事にして愛する気持ちを忘れて飽かない。このようであるならば、常に人は自分の善に同じてくれるようになる。

 このようにして、君主に仕えるならば必ず通じて、人のためにするならば必ず聖となる。また、これこそ天下の行術なのである。(●以て君に事うれば則ち必ず通じ、以て仁の為めにすれば則ち必ず聖なり。夫れ是れを天下の行術と謂う)

五章

 年少者が年長者に仕えて、身分の低い人が身分の高い人に仕えて、不肖者が賢者に仕えるのは、天下の通義であって、どこに行っても変わらない普遍の真理である。(●少きものの長に事え賤しきものの貴に事え不肖なるものの賢に事うるは、是れ天下の通義なり)

 ある人があって、この人が、人の上に立つべき様な年齢も身分も能力も備えていないのに、人の下にいることを恥じているならば、これは姦人の心というものである。心は姦心から免れることができず、行いは姦道から免れることができず、しかも、君子や聖人としての名を求めるならば、これを例えて言うなら、地面にうつ伏せに寝て天を舐めようとし、首つりしている人を助けようとしてその足を引っ張るようなものである。そもそも理論的に無理なことなのであり、どれだけ力を尽くしたところで骨折り損のくたびれもうけ、近付こうとしてどんどんと遠ざかっていくようなものである。だから、君子は、屈すべき時勢の時は屈して、伸びるべき時勢の時には伸びるのである。(●君子は時の屈すべきときは則ち屈し時の伸ぶべきときは則ち伸ぶるなり)


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■仲尼篇では、一章で理想の王道を覇道と比べて明らかにし、二〜四章で王道を行うための方法を明らかにした。ただし、その方法を行うためには、しかるべき地位や時勢というものが必要であるから、五章で、地位や時勢の必要性を説き、さらに、焦燥感や無力感を持たないように、戒め励ましている。最後にこの五章を配置する所が、細かいことまで気が効いて、説を投げっぱなしにしない荀子の良い処であると思う。だから、荀子を読むと、なぜここにこの内容があるのだ?と不思議に思うところが多いのだ。しかし、それは、その弊害に陥ってしまうかも知れない少数の人のために配置させられているものなのである。