50.荀子 現代語訳 仲尼第七 三章

三章

 重い地位に居て、大事を任され、大国で皆から信頼され、必ず後の患えがないための方法を求めるならば、人と同じることを好むに勝ることはない。(人と同じる:多くの人と同じ目的を持ち、同じことを考え、行動を共にすること)(●善く大重の位に処りて大事に任じ寵を万乗の国にほしいままにして必ず後患なきの術を求めんには、これを人と同にすることを好むに若くは莫し)

 賢者を援助して広く施しが行われるようにし、怨みを除いて人を妨害することなく、自分の能力でできることに関しては、慎みを忘れずその仕事をこなさなければならない。もしも、自分の能力ではできないことがあり、さらに自分が受けている信頼を失いたくないならば、速やかに人と行動を共にするに越したことはない。賢者を推薦して能力のある人に自分の仕事を譲り、そうして安心してその後ろを随って行くようにしなければならない。このようであるならば、信頼されている時は栄えて、仮に信頼を失ったとしても罪を受けることはない。これこそが、君主に仕えるときの宝であり、必ず後の患いがないための方法である。

 だから、知者が仕事をするときは、満ちているときはどこか不足はないかと思慮をめぐらし、平安であるときにはどこか困難はないかと思慮をめぐらし、安心している時には危険はないかと思慮をめぐらし、細かいことまでつぶさに予測することを重んじて、それでもなお禍が訪れることを恐れる。このようであるから、百の行事を行っても陥ることがないのだ。

 孔子が「要領が良くても度を越さないことを好むなら節(けじめ)があり、勇気があっても人と同じることを好むならば必ず勝ち(人に勝つのでなくて自分自身やその困難それ自体に勝つという意味)、知があるのにそれを鼻にかけず調子に乗らないなら必ず賢者である」と言ったのはこのことである。(●巧にして而も度を好めば必ず節あり、勇にして而も同にすることを好めば必ず勝任し、知にして而も謙を好めば必ず賢なり)

 愚者はこれと反対である。位が重くなって権力をほしいままにできるようになると、好んで独断を行って賢者や能力者を妬み、功績を挙げた人を抑えつけて罪がある人を過剰に陥れ、心持は常に驕り高ぶりが見えて人から受ける怨恨を軽んじ、ケチくさいことばかりして施しを行わず、虎の威を借りて威張り散らしているだけなのに、下の人からも権勢をかき集めて人の妨害ばかりする。危険を無くそうとしてもその願いがかなうはずはない。

 このようであるから、貴い位となれば必ず危うくなり、大事を任せられれば必ず罷免され、信頼を受けるようなことがあれば必ず辱めを受ける。飯を炊いていて、その飯が炊き終わって食べる間もなく、こういった禍が訪れるのである。これはどうしてか。それは堕落するための原因が多くて、これを保持するための原因が少ないからである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■世の中には、この愚者の行動をしていても、禍が訪れることが遅いことがある。これは何故か?それは、先祖や先達の残した「保持するための原因」が残っているからである。「保持するための原因」が貯まるのには、相当な時間がかかるけど、「堕落するための原因」がこれを食いつぶすのは早い。もしも、この「堕落するための原因」がかなりあるのに、なかなか禍が訪れないのであるなら、それまでに貯められた「保持するための原因」が相当にあるということである。私の計算によると、それは年月にしてほぼ3:1である。だから、30年間「保持するための原因」が蓄えられれば、10年間「堕落するための原因」を行っても禍は訪れない。また、一概にこの年数が当てはまらないと思われるときもあるが、それはどこか見えないところから「保持するための原因」を引き出しているに過ぎない。こういったことはできるのだけど、これらの原因を引き出したりすることをして悪事を行えば、長く栄えることもできるだろうけど、それは見せかけのものに過ぎない。それは、栄えるための原因と、人が幸福を得るための原因が違うからである。