42.荀子 現代語訳 非十二子第六 一章-後

 先王の道からきまりを見出そうとせず礼と義をよしせず、好んで怪しげな説を唱えて奇抜な議論をもてあそび、議論は甚だしく遠いところに及んでいるのに鋭さがなくて、語られる内容は役に立つことでなく、多くの事に触れているのであるけれど実際の功績はほとんど挙がらない、このように治の規範とすることはできない。このような有様であるのに、自説にはそれなりの根拠があって、自説を言葉にすれば理屈に沿っていて、民衆の愚かな部分を欺いて惑わすには十分である。これが恵施と訒析である。(同時の道家のことであろう。今で言うと、先と同じで学者ということになる。) (●然れども、其のこれを持するには故を有ち、其のこれを言いては条理を成し、以て愚衆を欺惑するに足る)

 ほとんど先王の道に適っているのだけどその伝統と神髄を知らず、ゆったりとはしているが、才能をひけらかして志ばかりは大きく、博識であるのにその知識は雑然とし、昔のことを推測して自分勝手に五行という説を作り出し、その見識は偏っていて誰もが共感できるようなことでなく、奥深いばかりでしっかりとした自説がなく、そもそも簡潔に解答を出すことができない。このようであるのに言辞を装飾して自説を崇敬し、これが真の先君子の道であると言う。子思がこれを言い始めて孟軻がこれに和した。世間の暗愚な儒者たちは口やかましくして喜ぶだけでその駄目な部分に気が付かず、遂にこの説を受け継いで伝えて、このことにより孔子や子遊も後世に長く伝えられると勘違いしてしまった。これが子思と孟軻の罪である。

 もしも、散らばっているものを集めて、言行を均質にして、伝統とその周辺の細かいことをも一つに束ね、そして、天下の英傑を集めてこれに答えるのには大道に基づき、これに教えるのには最善を尽くし、座敷の床の間や宴会の席上にさえも、敷物になったかのように聖王の文章が備わり、勢いよく平和な世の中が訪れるならば、前に挙げた六説が入り込む隙間さえなく、かの十二先生も近付くことさえできない。針の先ほどの土地さえ所有していないのに、多くの土地を持つ王や諸侯でさえその名を争うことができず、単なる一大臣でしかないのに、一国の君主でさえ押しとどめることができず、一つの国だけに収まることはできず、その名声は世に広まってどの諸侯もこれを臣下にしたいと願わないことはない。これが聖人となる時勢だけが無かった者であり、孔子と子弓がこれである。

 天下を統一し万物を人間の役に立つものとし、人民を長く養って天下を人民と共有し、政令には従わない者などなく、先の六説も立ちどころに消えて、かの十二先生も自然とその正道に立ち帰るとするならば、これこそ聖人の勢位を得た者であり、舜と禹がこれである。

 今、仁人は何を務めるべきだろうか。上は舜や禹の制度をよく見習って、下は孔子や子弓の義を自分の規律とし、そして、かの十二先生の説を無くすことに務めなければならない。(●上は則ち舜・兎の制に法とり、下は則ち仲尼・子弓の義に法とり、以て十二子の説を息めんことを務むべし)このようであるならば、いつしか天下の害は除かれて仁人の仕事は終わり、聖王の著跡も現れてくるであろう。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■子思は中庸の作者と言われている人で、孟軻は孟子のこと。現在、荀子が指摘している通りに、この二者を尊重した朱子学は、儒学とともに衰えてしまった。確かに中庸は奥深くてはっきりとしていない弊害があるし、孟子は当時の些事に触れている個所が多いので現代では通用しない部分も多い。朱子学の弊害として、特に感じるのは、その従属か、支配か、という専制政治を前提とした部分であり、人格さえも専制するようなところである。荀子も確かに専制政治を前提としているのだけど、自由独立の概念に似た、一種の自主性、人間力とでも言うべきものを強く打ち出している。あと、東洋では珍しく、弁別を重視して、科学的に、また弁証法的に物事を考える姿勢がある。弁別は、古代ギリシア語のディアレクティケーとほぼ同義で、アリストテレスが特に大成したものであり、現在の科学の基礎であると思う。