荀子の現代語訳について

 私がテキストにしている岩波文庫版の「荀子」は、解説などを含めないと300pほどの本で、上下二巻の構成になっている。内容は、書き下し文と現代語訳のみで構成されている。巻末に、字の異同などを示す注が書かれてる。

 これをテキストにして、一番の目的を、「私が荀子を理解すること」にしている。しかし、自分が理解するだけでなくて、荀子のよさを多くの人に知っていただきたいから、「なるべく難しい表現は避ける」ということを旨にしてる。この過程で、荀子のよさが殺がれている部分も多くあると思う。というのも、本来なら漢字一字で表現されていることを、私が勝手に長くしているからである。

 このようなわけであるから、荀子の良さはあまり伝わらないかもしれない。しかし、荀子の使っている漢字一字というのが厄介で、この一字の意味がとてつもなく難しい時がある。だから、曲がりなりにも論語などを読んで字の意味を知っていると思われる私が、横柄にも、この一字を展開して長くし、そうして現代語訳している。それで、このときになるべくテキストの現代語訳を見ずに、漢和辞典などを利用することとしている。そういった意味で、岩波文庫の現代語訳とは少し違う表現が使われていることと思う。

 それで、結局何が言いたいかというと、この現代語訳を読んで下さる方は、是非とも、岩波文庫の方も読んでいただきたいということだ。そして、できれば、岩波文庫の物と私の現代語訳を対比していただいて、私の間違いを指摘して下さったり、ここはこうではないかという意見をいただきたいということである。

 ちなみに現在のペースだと、一日2ページ分くらいだから、全部終わるのは一年後の予定だ。

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