32.荀子 現代語訳 栄辱第四 十二章

十二章

 位の高いこと天下の王となり、富を保つこと天下全てでありたいという思いは、人情として誰でも同じところである。しかしながら、欲をほしいままに行動をするのならば、その思いが実現されるようなことはなく、実際に欲しいものが手に入ることはない。

 だから、先王は、このために心をめぐらせて礼を制定し義に従って、貴賤の等・長幼の差・知愚能不能といった分限を定め、全ての人にその人相応のことが割り当てられるようにして、それから、それ相応の報酬を割り当てることをした。

 これが和やかに一丸となった社会を形成するための道である。(是れかの群居和一するの道なり)

 だから、仁人が上に居る時は、農夫は力を田畑の仕事に尽くし、商人は知力を商売に尽くし、百工は技術を道具に尽くし、役人大臣から諸候に至るまで仁と厚と知と能力を自分の役目に尽くす。

 このことを“至平”と言う。(すべてが能力相応で平等に分配され、不満が無くて平定されていること:公平)(●夫れ是れを至平と謂う)

 だから、天下を所有しても多いとはせず、門番や旅のお供や関守りや夜番といったような職業であっても少ないとはしない。だから、「違うのに等しくて、ひねくれていても素直で、同じでないのに一つであり、これをこそ人倫と言う」と言うのだ。(●差いながら斉しく、曲がりながら順に、不同にして一なる、夫れ是れを人倫と謂う)詩経 商頌・長発篇に「大玉、小玉、受けては自分の役目を果たす」とはこのことを言ったことである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■ここでの記述は、韓非子と言うか法術とも関係が深いと思う。というのも、その役目がなければ、その役目に就く人は居ないからである。組織割とも言えるだろう。たとえば、社員が2000人もいるような会社で、部長が一人しかいないのに、そこで行われている事業は10種類あったら、大変おかしな組織が出来上がることになる。また、管理職も部長しかなくて、社長と部長以外は平社員ということでも何も事は行われないだろう。これが会社を例えにするとわかりやすいけど、ほかの社会になるとわかりにくい。例えば、家で、こういったことを考えたり、国家自体でこれを考えた場合がそうである。組織としての秩序、つまり、貴賤・長幼・知愚能不能という、分限は必要なのであり、また、これ相応の居場所というものも定めてやらなければならないのだ。現在は、自由民主主義ということであるから、これらの居場所が、市場原理の如く「需要と供給に従って勝手にできてくる」ということになっている。しかしながら、市場原理の欠点は、これが人の欲望を駆動力としているところと、これをダーウィンの進化論に従って、必ず進化するものと過信していることであると言えるかもしれない。