33.荀子 現代語訳 非相第五 一章-前

非相第五

一章

 人を見た目で判断することについて、昔の人はそれを重視することは無かったし、学者は自分の道とはしない。(●人を相うこと、古えの人は有りとすること無く学者は道わざるなり)昔は姑布子卿という人物がいたし、今の世では梁の国に唐挙という人物がいて、人相や容姿を見てその人を占い、吉凶を知る。そして、世間ではこれを称賛している。しかし、昔の人はこれを重視することは無かったし、学者はこれを自分の道とはしない。

 つまり、人を見た目で判断するようなことは心の事を論じることに到底及ばないし、心の事を論じることは事実用いる方法(術)を手に取ることには到底及ばない。外形は心に勝ることなく、心は実際の手段に勝ることはない。(●形を占うは心を論ずるに如かず、心を論ずるは術を択ぶには如かず。形は心に勝たず心は術に勝たず)

 だから、普段用いている方法が正しいもので、心は善に従っているならば、いかに姿形が悪かろうが、心と術は善いのであり、君子としてもなんの差支えもない。逆に、姿形が良くても心と術が悪いのならば、小人としてもなんの差支えもない。

 そして、君子であることが吉であって、小人であることを凶と言う。だから、長短小大美醜といったような姿形のことは、吉凶とはなんの関係もない。昔の人はそれを重視することはなかったし、君子はこれを自分の道とはしない。

 堯は長身で舜は短身、文王は長身で周公は短身、仲尼は長身で子弓は短身。

 むかし、衛の霊公に公孫呂という名の家臣が居たが、身長は七尺で、顔の長さは三尺あって幅は三寸、そこに目耳鼻が備わっていて、奇形であったけれども、その賢臣としてのその名は天下をも動かした。

 楚の孫叔敖は、地方の野人で、突き出たはげ頭に左手だけが異様に長く、奇形であったけれども楚を春秋の五覇の一へと導いた。

 葉公子高は、とても背が低くて瘠せていて、着物にも押しつぶされそうなほどであった。しかし、白公の乱のとき、当時の宰相である子西と大将軍の子期は殺されてしまったのに、生きて楚を治めて白公を誅殺し、楚を平定するような大事業をやすやすと成し遂げた。その仁義の名は後世まで伝わっている。

 だから、士たる者は、長さや大きさや重さと言ったものに思いを巡らすことはなく、ただ、心を知ろうとするのである。長短大小美醜と言ったような姿形に関することになど、どうして心を巡らす必要があろうか。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■確かに、人を見た目で判断してはならない。私の経験上、そういった自分の顔立ちを逆手にとって「必殺技」にしている人間もいる。例えば、ほとけさまのようなおたふく顔の人が嘘をつくと思うだろうか?思わないだろう。だからこそ、嘘が必殺技となる。例えば、童顔の人が実は腹黒だと思うだろうか?思わないだろう。だからこそ、裏切りが必殺技となる。かくのごとく、良く見られそうな顔立ちの人ほど、それをいいことに変な癖のある人が多い、もちろん全てそうではないけど。まあ、いずれにせよ、人を見た目だけで判断することは、自分が油断することに他ならない。そして、油断とは大敵なのである。だから、ここで荀子は、嘘やろ?というほどの例えを出してそれを戒めている。姿形はその人の所有物でしかない、シャネルやブルガリとか言ったブランドものを多く身につけている人が金持ちとは限らない。そのように、姿形がそのような人が、そのような心の持ち主とは限らない。