25.荀子 現代語訳 栄辱第四 三章

三章

 争いごとをする者は、自分の体のことを忘れてしまった者であり、自分の親しい人のことを忘れてしまった者であり、自分の置かれている立場のことを忘れてしまった者である。(●あらそう者は其の身を忘るる者なり、其の親を忘るる者なり、其の君を忘るる者なり)注・君は君主のことであるけど、現代は民主主義であるから、民主主義的に以下これを訳すことにする。自分の置かれている立場とは、日本という国家やこの民主主義の道理に自分が守られているという立場のこと。

 その一時の怒りをこらえきれずに行動して自分の体を失う。それでもなお、これを行うならば、これは自分の体のことを忘れてしまっているのだ。家や小屋は全て荒らされて一族郎党は死刑を免れることはできない。それでもなお、これを行うならば、自分の親しい人のことを忘れてしまっているのだ。皆が嫌うことでしかも法律で禁止されていること。それでもなお、これを行うならば、自分の置かれている立場を忘れてしまっているのだ。

 下は自分の体のことさえ忘れて、内は自分の親しい人のことさえ忘れて、上は自分の置かれている立場のことを忘れるならば、これはもちろん法律で許されないことであるし、聖王が望むところでもない。

 猪の子供は虎に食われることがなく、子犬も親犬のところから遠くは離れないのは、自分の親しいもののことを忘れないからである。しかし、人であるのに、下は自分の体のことを忘れ、内は親しい人のことを忘れ、上は自分の立場のことを忘れるならば、これは人であって人でなく、犬猪にも及ばない。

 おおよそ、争いごとをする者は、自分が正しくて相手が正しくないと必ず主張する。そこで、自分が本当に正しくて、相手が本当に正しくないならば、自分が君子であって、相手は小人であるということになる。君子でありながら小人とまともに張り合ってお互いに傷つけあい、下は自分の体のことを忘れ、内は親しい人のことを忘れ、上は自分の立場のことを忘れる。過ちの中でもこれほど甚だしいことがあるだろうか。

 こういった人は、稀代の名剣で牛を殺そうとするようなもので、ものの価値というものを分かっていないのだ。これを智とすることができようか、愚かであることこれより大きいものはないであろう。何か利益があるだろうか、害が及ぶことこれより大きいものはないであろう。栄誉が得られるだろうか、辱められることこれより大きいものはないであろう。安心できるだろうか、危ないことこれより大きいものはないであろう。

 人に争いごとがあるのはどうしてだろうか。

 私はこれを、狂惑疾病に属するものだとしたいのだけど、それはできない。なぜなら、聖王は暴虐の人を誅することをしているからだ。私はこれを、鳥鼠禽獣に属するものだとしたいのだけど、それはできない。なぜなら、そういったことをする人でも自分と好悪を同じくする人間であるからだ。

 人に争いごとがあるのはどうしてだろうか。しかし、私はこれを甚だ醜いものだと嫌うのだ。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

荀子の近辺に、そういったことをして、死刑にされた人でもいたのだろうか。荀子の気持ちが伝わってきて涙ぐんでしまった。特にテロリストの人には是非読んでもらいたいと思う。テロリストに限らずとも、怒りは戒めなければならないこと最たるものである。「怒りにて 争うことは 愚かなり 怒りひととき 亡うは永遠か」「怒り一時、失うは永遠」

■私は「争いごと」と訳したのだけど、ここには「闘」をかなり難しくしたような漢字が使われている。訴訟も争いごとであるし、戦争も争いごとであるし、テロ行為も争いごとである。

論語・季氏第十六より、君子の九思「孔子曰く、君子に九思あり。視ることは明を思い、聴くことは聡を思い、色は温を思い、貌は恭を思い、言は忠を思い、事は敬を思い、疑わしきは問いを思い、忿りには難を思い、得るを見ては義を思う」

孫子・火攻篇より、「主は怒りもて師を興すべからず。将は憤りもて戦いを致すべからず。利に合えば動き、利に合わざれば止まる。怒りはまた喜ぶべく、憤りはまた悦ぶべきも、亡国はまた存すべからず、死者はまた生くべからず。故に明主はこれを慎み、良将はこれを警む。これ国を安んじ、軍を全うするの道なり」