54.荀子 現代語訳 儒効第八 三章

三章

 先王の道は仁の隆盛であった。中に従ってこれが行われていた。では、何を中と言うのか。

 答えて曰く、中とは礼義のことである。(●何をか中と謂う。曰く礼義こそこれなれ)道とは天の道のことでもなく、地の道のことでもない。人が踏むべき道のことであり、君子が踏む道のことである。(●道とは天の道に非ず地の道に非ず、人の道う所以にして君子の道う所なり)

 君子の賢とは、人よりものごとをうまく処理する能力があることではなく、君子の知とは、人よりものごとを知っていることではなく、君子の弁とは、人より物事を分別する能力があることではなく、君子の察とは、人より奥深いことを見抜くことではなく、止まる所があることなのである。 (君子の所謂賢とは、能くあまねく人の能くする所のことを能くするとの謂にはあらず、君子の所謂知とは、能くあまねく人の知る所のことを知るとの謂にはあらず、君子の所謂辨(弁:わきまえ)とは、能くあまねく人の辨ずる所のことを辨ずるとの謂にはあらず、君子の所謂察とは、能くあまねく人の察する所のことを察するとの謂にはあらず、則ち止まる所あるなり)

 地面の高い低いを見分けたり、土が肥えているかどうかを見たり、五穀をうまく栽培するようなことにおいて、君子が農夫に勝ることはない。財貨に関して儲かるかどうかを判断したり、その商品が高いのか安いのか判断することにおいて、君子が商人に勝ることはない。墨縄を打ってものさしを使い、備品を整えることにおいて、君子が職人に勝ることはない。物事の是非曲直に関係なしにお互いにお互いをけなして辱め合うことにおいて、君子が恵施や訒析に勝ることはない。

 もしも、徳の力によって事の次第を定めて、才能を見抜いて役目を授け、賢者と不肖者とが皆うまく上下に配置され、才能がある者ない者にうまく役目が割り当てられ、万物にその宜しき居場所を与え、急な変化にも常に柔軟な対処があるようにし、慎到や墨翟が談話を進めることができないようにし、恵施や訒析が詭弁を展開することができないようにし、言葉は必ず道理に合致し、事を行えば必ずそれがやるべきことである。このようであってこそ、君子としての長所があると言えるのである。(●言は必ず理治に当り事は必ず務めに当る。是くして然る後に君子の長ずる所なり)


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■ここの内容は、修身第二や不苟第三とだいぶ内容がかぶっていると思う。それにしても、荀子の描く君子は、ほんとにハードルが高い。

■Mさんという方から、論語とこの章との関わりが深いのでは、とご指摘をいただけました。大変ありがたく思っています。感謝の意とともに、こちらに転載しておきます。これを読んでくださっている方で、他にお気づきの点のある方がいらっしゃったら、遠慮せずに、コメント、メールなどしていただきたいと思っています。よろしくお願いします。

 荀子が、孔子の孫弟子であるとよくわかりました
 上記文章から孔子思想を理解し、自分の口で表現されています
 論語に下記の一節があります 
「樊遅稼を請学ぶ、子曰く、吾老農に如かず。圃を為ることを請学ぶ、子曰く、吾老圃に如かず。樊遅出づ。子曰く、小人なるかな樊遅や。、上礼を好むときは則ち民敢えて敬せざるなく、上義を好むときは、則民敢えて服せざるなく、上信を好むときは、則ち民敢えて情を用いざるなし、それ是の如くなれば則ち四方の民その子を背負いして至らむ、いずくんぞ稼業を用いむ。」論語子路第十三の四