55.学問のすすめ 現代語訳 第七〜九段落

第七段落

 こうして考えてみると、怨望は貧賤によって生ずるものではない。ただ人類の自然な心の働きを塞がれることと、禍福の来去が全て偶然に与えられた地位で決定され固定されていることとによるのである。

 昔、孔子が女子供と小人は近付けない方が良い、だが近付かないわけにはいかないときもあるから、さてさて困ったものだとため息をついたことがあった。今このことを考えてみると、これは孔先生が、自分で問題の原因を作って、その問題の弊害を自分で言っているようなことと言うべきである。

 なぜなら、人の心の性情は、男子と女子で違うということはない。また、小人とは下人(人に雇われていたりして身分の賤しい人)ということであろうか、下人から生まれた人が必ず下人であるこということはない。

 下人であっても貴人であっても、生まれ落ちた時の自然な心の持ち方に何の違いもないことは論ずるまでもないことである。そうであるのに、女子供や下人に限って取扱いに困るとはどういうことか。

 平生から卑屈を旨として、あまねく人民に教え、弱小な婦人下人の輩を束縛し、その心の働きに少しも自由を与えなかったばかりに、遂に怨望の気風を作りだし、それが極度に至って孔子様もため息をつかれたのである。

 そもそも、人の心の自然な働きが束縛されて自由にできないのなら、そのやり場の無い心のうっぷんは必ず怨望となるのである。この因果応報が明らかであることは、麦をまいたのなら麦ができるほど明らかなことである。

 聖人の名を得ている孔先生が、この理を知らずに、別の工夫も考えずに、いたずらに愚痴を言うとはあまにも頼もしくない話である。それに、そもそも孔子の時代は、明治を去ること二千年あまり、野蛮草昧の世の中であったからには、教えの趣も当時の風俗人情に従い、天下の人心を維持するためには、弊害をわかっていても束縛する方法をとるしかなかったのである。

 もし、孔子が真の聖人で万世の後の世を洞察する見識があったのならば、当時のこの権力による方法について、絶対にこれでよいと思うことはなかったに違いない。だから、後世で孔子の道を学ぶ人は、時代の考えを勘定の内に入れて取捨選択をしなければならない。二千年も前に行われた教えを、そのまましき写して明治年間に行おうとする人は、ともに物事の相場を語ることのできない人である。

第八段落

 また、近いところでの一例を挙げてみると、怨望が流行して交際を害しているものは、我らが封建の時代に沢山の大名が御殿と女中をかかえていたことが最たるものである。

 そもそも、御殿女中というものがどういったものであったか大まかに言うと、無識無学の婦女子が群居して無智無徳の一主人に仕え、勉強で賞せられるのではなく、怠惰で罰せられるのではなく、進言して叱られることもあれば、進言しないで叱られることもあり、言っても良いし言わなくても良い、偽るのも駄目で偽らないのも駄目、ただ朝夕、臨機応変に主人からの寵愛だけを最高の幸せとするようなものであった。その状況は、あたかも的のないところに矢を放つかのようであり、当たって上手というわけでもなく、当たらなくても下手というわけでなくて、これを人間おみくじと言ってもいいような状況であった。

 この有様の中にいると、喜怒哀楽の心情は必ずおかしくなってしまって、他の人間世界とは違うようになってしまわざるを得ない。たまたま同僚で立身出世する人があったとしても、どうしてその人が立身出世したのか、はっきりした理由がわからないのであるからには、ただこれを羨むしかない。そして、この羨むことがいつしか妬みとなるものである。同僚を妬んで主人を怨望するのに忙しいのに、どうして御家のことを考えている暇があるだろうか。

 こうして、忠信忠節は表向きの挨拶となって、その実際は畳に油をこぼしても、人の見ないところであったら拭いもせずに捨て置くような流儀となり、甚だしいことに至っては、主人の一命に関わるような病気の時であっても、平生の同僚同士のにらみ合いが絡まり合って、思うように看病もできないことが多い。さらに一歩進んで、怨望嫉妬の極度のものに至っては、毒殺の沙汰も珍しいことではない。

 もしこの大悪事に関して、その件数などを昔から記した「スタチスチク(statistic:統計)」の表があったとして、御殿で行われた毒殺の件数と、世間で行われた毒殺の件数とを比較することができたならば、御殿での悪事が多いことを間違いなく知ることができるだろう。怨望の禍(わざわい)を恐怖しないでいられようか。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536


感想及び考察

孔子の言が引かれているが、典拠がわからない。ここで福沢は敢えて曲解しているのと思われるのだけど、確かに、論語の中には、「小人(つまらない人間、または卑怯な手段ばかり使う悪人)を近付けてはならない」と言った旨のことが書かれている。これを例えると、○沢一郎のような人がいかに社会的地位があったからと言って、こういった人に近付くと自分にとって本当の利益があるようなことはなく、かえってこの前の秘書のように身代りにされてしまうことは目に見えている。だから、こういった小人に近付かないようにした方がいいことは火を見るより明らかなことなのである。しかし、同じ会社などに勤めていれば、顔を合わせないわけにはいかず、そこで「どうしたものか、さてさて困ったことである」となるのである。

■七段落の最後に、「時代を勘定に入れて考えない人間とは話をすることができない」とある。福沢は時代の体面上、儒者を真っ向から非難するような書き方をしているけれど、実際は、相当根っからの儒者なのではないかとさえ思う。なぜなら儒学の経典、四書のうちの「中庸」には、「愚にして自ら用いるを好み、賤にして自ら専らにするを好み、今の世に生まれて古に反る。かくの如き者は、わざわいその身に及ぶなり。」(1.勉強に励むことが無く愚かで無能無用の身でありながら、その自身の有様を顧みないで大きな仕事を好み、2.実力がなくて内の徳も備えられず、当然それが外に現れず世間に認めらるだけの地位を得てもいないのに、全て自分を通して事を推し進めようとすることを好み、3.現在に生まれているのに現在の状況をしっかりと把握することをしないで、なんでも昔は良かったなどと言って、昔のやり方にこだわることを好むなら、それらから生ずるわざわいが自分の身に及ぶことになる。)とあるからだ。3.は、ほとんど、この福沢の言葉と同じではないか。