195.荀子 現代語訳 大略第二十七 五十八〜六十二

五十八
 君子は疑わいいことについては口にしないし、問われていないことには答えない。そして、道は遠いけれども日々に進むのだ。
 知人が多いのに親しい人がなく、広く学んでいるのに一定の方向性がなく、何にでも好奇心を示すがそれがいつもほしいままであるような人と、君子は交際をしない。
 若い時に経典を暗誦することなく、壮年となってからも人と議論しないのならば、可能性があっても大成することはできない。君子は仁に集中して教えを施す。弟子も仁に集中して学ぶのなら学問もすみやかに完成する。
 君子は、進むときは君の誉れを増して民衆の憂いを減らす。こういったことがしっかりできていないのに、そういった地位についているのならそれは騙しているということだ。何も増すことがないのに厚い待遇を受けているのならそれは盗んでいることと変わりない。学問というものは必ずしも仕えるためにあるものではないが、仕える者は必ず学問を用いる。

五十九
 子貢が孔子に尋ねて言った。「私は学問に疲れました。できるならば君主に仕えることに憩いたいです。」
 孔子が言った。「詩経には、『朝から晩まで 朗らかに恭しく 事を執り行って 敬いを忘れず』とある。君主に仕えることは難しいことだ。君主に仕えるのにどうして憩うことができるだろうか」
「そうであるならば、私はできることなら親に仕えることに憩いたいです。」
 孔子は言った。「詩経には、『孝行息子は 虚しくなることなく 長く善行を送る』とある。親に仕えることは難しい。親に仕えるのにどうして憩うことができるだろうか」
「ならば、私はできることなら妻子に憩いたいです。」
 孔子は言った。「詩経には、『嫁に法を守らせ 兄弟に及ぼして そうして家と国が治まる』とある。妻子のことは難しい。どうして妻子に憩うことができるだろうか」
「そういったことならば、私は朋友に憩いたいです。」
 孔子が言った。「詩経には、『朋友は助けなければならない 助けるにしても 威儀を忘れてはならない』とある。朋友のことは難しい。どうして朋友に憩うことができるだろうか」
「そうですか、では、農業をすることで私は憩いたいです。」
 孔子は言った。「詩経には、『お前は昼に行って芋を掘り お前は夜に縄を編んで 屋根を付く終えて それから種を播け』とある。農業は難しい。どうして農業をして憩うことができるだろうか」
「なんということでしょうか、私には憩うことが許されていないのでしょうか。」
 孔子は言った。「仮に墓を望むならば、水辺に近づき、体を倒して、心も安定するだろう。ここでやっと憩う所を知るであろう」
 子貢は言った。「死とはなんと偉大なるものでしょうか、君子も憩うことができ、小人でも休むことができる」

六十
 詩経の国風は、言い伝えで「欲を満たすけれども、止まるべき所を誤っていない」と言われている。その誠は金石にも比肩し、その声はお社に入れても遜色が無い。詩経の小雅は、汚れた上には用いられず、自ら引きこもって下に居て、今の政治を快く思わず、次の世代が来ることを思慕するものである。そのことには適度な飾りがあって、その声には哀しさがある。

六十一
 国が興ろうとするとき、必ず師を貴んでお守役の人を重んじるようになる。師を貴んでお守役の人を重んじれば法度が存在することとなる。国が今まさに衰えようとする時、必ず師を賤しんでお守役の人を軽んじる。師を賤しんでお守役の人を軽んずれば、人はみな身勝手となり、人がみなそれぞれで好きなことをすれば法度は壊れてしまう」

六十二
 昔は、匹夫(普通の人)は五十歳でようやく君主に仕えていた。天子諸侯の子は十九にして、冠をかぶる儀式を行い、冠をつけると政治に参加したが、それは教養が身についてたからである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■五十九に関連して、論語のこの一節だけ抜粋しておきたい。泰伯第八より「曾子曰く、士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て己が任となす。亦重からずや。死して後已む。亦遠からずや。」訳「曾子は言った。士というものは、その心が広くて強くなくてはならない。背負った荷物は重くその行く道は遠いのだから。仁を己の背負う荷物とする。これは何と重いものであろうか。死ぬまでその荷物を下ろすことがない。これはなんと遠い道のりであろうか。」