45.学問のすすめ 現代語訳 十編 第三段落

第三段落

 このようにして考えてみると、今の学者たる者は決して尋常学校の教育で満足してはならず、その志を高遠にして学術の真価に達し、不羈独立であって他人に頼ることもなく、あるいは同志の朋友がいないのならば、例え一人ででもこの日本国を維持するという気力を養い、そうして世の中のために尽くさなければならない。

 われわれは、そもそも、和漢の古学者流が、人を治めることを知って自らを修めることを知らないでいるようなことを好まない。こういったことを好まないからこそ、この本の初編から人民同権の説を主張し、人々は自らのその責任において自分のことについては自分の力で何とかすることの大切さを論じたのであるけれど、この自力で自分のことだけ何とかするという一事だけでは、まだ私の学問の意味を全て尽くすには足らないのである。

 これを例えるならば、ここに手の付けれられないほど遊び好きの子弟が居たとする。これをなんとかするための方法とはどういったものがあるだろうか。これを導いて人とするためには、まず飲酒を禁じて女遊びをさせないようにし、そうしてから後で、それ相応の仕事に就かせるしかない。飲酒と女遊びをやめない間は、家の事もともに語ることはできない。

 そうではあっても、酒色にふけっていない人だからと言って、これはその人の徳義といえるほどのことではない。ただ、世の中に害をなさないだけであって、いまだに無用の長物という名を免れることは難しいだろう。飲酒と女遊びをしない上で、またさらに仕事に就いて自分の身を養って家に益することがあって、そうして始めて十人並みの少年になれたと言うべきである。自食するということはこのようなものである。

 我が国の士族以上の人は、数千百年の旧習に慣れてしまって、衣食がどういったものかということを分かっていないし、どうしたら富裕になれるのかということも弁えていない、ただただ、当たり前のように(世襲的に受け継いだ禄を)無為に食べてこれを天然の権利だと思い、その状況はあたかも放蕩少年が更正したかどうか程度だということを忘れてしまっているかのようである。

 この時に当たって、こういった人達にどういったことを告げるべきだろうか。ただ、自食の説を唱えてその酔夢を驚かす以外に手段はないであろう。この程度の人達に、どうして、高尚な学を勧めることができるだろうか。世に貢献することの大義を説明できようか。たとえこの人達に説き勧めたとしても、夢の中で学に入ったのならば、その学問も夢中の夢というものである。

 すなわちこれが、私が自食の説ばかりを主張して、いまだ真の学問を勧めない理由である。だから、この説は本来、ただ当たり前のように飯を食って生きている輩に告げていることであって、学者に諭すべきようなことではない。

 しかし、私の聞くところによると、最近では中津の旧友で学問に就く者のうち、まれに学業がいまだ半ばにも至っていないのに、既に早くから生計を立てようとばかりしている者がいるということではないか。確かに生計のことは軽んじてはならない。人の才能には長短もあるのであるから、あとあとの方向を定めるということは誠によいことではあるのだけど、もしこういった雰囲気に慣れてしまって、ただ生計を立てることばかりに争うようになったとしたら、俊英の少年もその実力が未熟なままで残ってしまうという恐れがある。これは本人のためにも悲しむべきことであるし、天下のためにも惜しむべきことである。

 また、生計を立てることが難しいとは言っても、よく一家の世帯を考えてみれば、焦って早くから一時の銭を稼いで、それを費やすことで小さな安心を買うよりも、力を労して倹約を守り大きな成功を待った方が良いに決まっているのだ。

 学問の道に入ったのならば、大いに学問すべきである。農業に就いたのならば大農家になれ、商人になったのなら大商人となれ。学者は小さな安心に安んじていてはならない。粗衣粗食、寒暑をはばからず、米もついて、薪でも割るのだ。学問は米をつきながらでもできるのである。人間の食べ物は西洋料理ばかりでない、麦飯を食って味噌汁をすすって、そうして文明の事を学ばなければならない。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536


感想及び考察

■最後の所を訳していて、論語学而第一の「子曰く、君子は食飽くこと求むるなく、居安きを求むるなく、事に敏にして言を慎み、有道に就いて学ぶを学を好むと言うべきのみ」(君子という者は、腹いっぱいになること求めるのでなく、住みやすい住居と安心な生活を求めるのでなく、善いことには敏感に反応して即座に行動するようにし、口は何かと行きすぎることが多いから慎むようにして、有道の先生に就いて学んで、そうしてやっと、学問を好んだということができるのである。)という部分を思い出した。あと、「大学」を読んでいることで有名な二宮金次郎を思い出した。大学冒頭より「止まるを知ってのち定まるあり、定まってのち能く静かに、静かにしてのち能く安く、安くしてのち能く慮り、慮りてのち能く得」