17.学問のすすめ 現代語訳 四編 第二・三・四段落

第二段落

 何かを維持するためには力の平均というものが必要である。たとえば、人の体のようなものだ。体を健康に保とうと思うと、食べたり飲んだりしないとならないし、空気と太陽の光が必要であるし、暑い寒い痛いかゆいというような外からの刺激があって、内からこれに応じ、そうしてはじめて体の働きを調和できるものだ。今、この外からの刺激を無くして、ただ生力の働くままに放っておくのならば、体の健康は一日も保つことができない。

 国もこれと同じであるのだ。というのも、政治というものは一国の働きである。この働きを調和して国の独立を保とうとするのならば、内に政府の力があって外に人民の力があって、内外が相応じてその力を平均させなければならない。

 だから政府は生力のようなもので、人民は外物の刺激のようなものである。もしも、この刺激を無くしてしまって、ただ政府の働くところに任すままにこれを放っておいたら、国の独立は一日も保つことができないだろう。

 いやしくも、人身窮理の義(人の身で知ることのできる理)を明らかにし、その定則で一国経済の議論に施すことを知っている者は、この力の平均の理を疑うことのないようにしなければならない。

第三段落

 最近の我が国の状況を察して、外国に劣っていると思われるものは、学術、商売、法律である。世界の文明は専らこの三者に関するもので、この三者がしっかりと成り立っていないようでは、国の独立を得ることのできないことは識者でなくても分かることである。そのはずであるのだけど、現在わが国ではこのうちの一つもしっかりと成り立っていない。

第四段落

 政府が一新してから、政府の人間が力を尽くしていないというわけでもないし、その才力が稚拙であるというわけでもないのだけど、事を行おうとするのにどうしようもない原因があって思うようにいかないことも多いのである。そして、この原因こそが国民の無智文盲すなわちこれである。

 政府は既にこの原因を知って、しきりに学術を勧めて法律を議題にし、商売のやり方を示すなど、あるいは人民に論説したりまたは自ら先例を示して、やれる限りのことをやってはいるのだけど、今日になってもいまだ実行が成されず、政府は依然として専制の政府であり、人民は相変わらず無気力な愚民のままである。

 そうとは言っても、少しは進歩したようなこともあるけれど、これに用いている力と費やすところの金とに比べてみると、その結果が伴っていないのが目に見えてわかるのはどうしてだろうか。それは、一国の文明が、政府の独力のみではなんとも進まないからである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536


感想及び考察

■現在の日本では、学術・法律・商売、これは全て立っているわけである。この点に関しては、うまくものごとが進んだと言えるのではないか。

■力の平均の理は、この福沢の例えだとちょっとわかりにくい気がする。例えば、このように、例えを変えると分かるのではないか。ボクシングの選手が、とても闘争心が強くて、体力も強く、ケンカは強いのだけど、ボクシングの試合では負けてしまう。これが政府(体の生力)が強い場合である。これとは逆に、闘争心や体力は人並みであるのだけど、ボクシングの技には詳しくていろいろなテクニックを知っていて、試合自体も多く見ている、だが、もちろんもともと普通の人なのでボクシングの試合で勝てるわけがない場合、これが人民(外の刺激)が強い場合である。だから、一番強いボクシングの選手は、闘争心と体力があって、かつ、多くの試合を見てしっかりとボクシングのテクニックを習得している人なのである。国家もこれと同じで、これを行おうという気力がいかに政府にあったところで、これを行う術を国民がしっかりと体得していないとこれは行うことができないわけである。


要約

第二段落
 体を維持するために、飲食をしたり痛みなどを感じて生命の危険を感じたりするように、国にも、外からの滋養や刺激が必要なのである。そして、外からの滋養や刺激というのが人民の活動に他ならず、これが力の平均の理である。

第三段落
 そして、文明国の独立に必要なものとは、学術、商売、法律、この三つに他ならない。

第四段落
 この三つを発達させるために、政府は力を尽くしていはいるのだけど、いまだ人民が無知文盲にして無気力な愚民であるために、思うように国が発展していかない。つまり、一国の文明を発展させるためには、政府の独力ではなんともならないのである。