16.学問のすすめ 現代語訳 四編 第一段落

四編

第一段落

学者の職分を論ず

 最近、識者の意見を聞いていると、

 今後日本の盛衰は、簡単には察することはできないとはいえ、今の独立の地位を失うような憂き目にあうことは到底ないであろうし、このごろ目撃しているところの勢いによって進歩すれば、必ず文明盛大の域に至るであろう。と、これを問う者がある。

 または、この独立を保てるかどうかは、今から二、三十年経たなければ明らかにならず、知ることは困難であると言って、これを疑う者がある。

 または、甚だしくこの国を蔑視している外国人の説だと、とても日本の独立は危ういものだと言って、これを無理だと言う者がある。

 そもそも、私自身が人の説を聞いてそれを信じて望みを失ってしまうということではないけれども、結局のところ、この諸説があること自体が、私にとって独立を保てるかどうかについての疑問となる。

 なぜならば、何も疑いのないところには疑問は起きないからである。もしも今、イギリスに行って、イギリスの独立は保てるのかどうか尋ねてみれば、皆これを笑って答えもしないだろう。どうして答える者が居ないのか、それは疑っていないからである。

 そうであるならば、すなわち、わが日本の文明の有様は、今日と昨日を比べてみれば進歩しているようであるけれども、結局のところは一点の疑いもないとは言えないわけである。日本に生まれて日本人の名がある者にとって、これは心もとないことと言えるのではないか。

 今、私もこの国に生まれて日本人の名があり、また、既にその名があるのならまた各々その分を明らかにして尽くさないところがないようにしなければならない。政治に関わることに関しては政府の人に任せられてはいるけれど、社会が運営されていくには政府の関わっていないようなこともまた多いのである。

 だから、一国の全体を整理するには、人民と政府とが両立してはじめて成功できるのであり、われわれは国民たるの分限を尽し、政府は政府たるの分限を尽し、互いに相助け、そうして全国の独立を維持しなければならない。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536


感想及び考察

■現在「日本の独立は保てるや否や」と質問をしたらどうであろう。九割近くの人が何も“答えられない”のではないか。そしてこう反問すると思う。「独立できるかってどういう意味?」この言葉には、二つの意味があると思う。ひとつは、福沢が述べている昔のイギリスのように「一点の疑念もないこと」もう一つは、昔の帝国主義や植民地支配のようなことが無くなって「独立できているのが当たり前」であること。また、そのことに国家独立の意味がわからないこと。ただし、残りの一割の人は、現在のチベットウイグルの惨状を見て、または帝国主義などの歴史を良く知って、何らかまともな返答もあると思う。

■この当時と現在を比べたもうひとつの違いは、「日本の発展」が国民自身にかかっているという見解が当たり前のことになっていることと言えるだろう。国民が、経済活動やその他を頑張らないと、日本は発展しない。このような見解は皆持ち合わせている。逆に言えば、明治維新当時は、そういった見解が少なく、日本がどうなるかは政府次第という考えが多かったのだろう。しかし、最近は、なんでも政府のせいにする人が増えたようで、これは世の常だなと思う。特に最近は、経済にガタがきて、それは政府云々の話では無いのだけど、このように思い通りに行かないことが多くなると、何でも自分以外の人のせいにしたくなるのは人の常である。人のせいにしている暇があったら、自分で何とかできないか考えてみる所から始めて、それでどうしようもないと思うなら黙っていた方が良いだろう。


要約

 日本が独立の地位を保てるのか?という問いに対して、現在は疑問符が付く状況である。だから、日本は進歩しているようではあるけれど、何の疑いもなく独立の地位を得ているわけではない。こういったわけであるから、政府と協力して、政府の役目でない自分の役目と分限を尽くすことにより、日本の独立を維持しなければならない。