12.学問のすすめ 現代語訳 三編 第一段落

三篇

第一段落

国は同等なること

 おおよそ、人という名さえあれば、富んでいても貧しくても、強くても弱くても、人民でも政府でも、その権利(権義)において異なることがないということは、第二編に記したところである。(二編にある権理通義の四文字を略して、ここにはただ権義と記した。いずれの語も、「ライト(right)」に当たる。)今、この意味を押し広めて国と国との間柄について論じよう。

 国というものは、人の集まっているものであって、日本国は日本人の集まったものであり、イギリスはイギリス人の集まったものである。そして、一人が一人に向かって害を加えることが理に適っていないのならば、二人が二人に向かって害を加えることもまた理に適わないはずである。これは、百万人でも千万人でも同様のことであって、物事の道理は人数が多いか少ないかということによって変わることではない。

 今、世界中を見渡してみると、文明開化して文字も武備も盛んにして富強の国もあれば、蛮野未開で文武とも不行き届きで貧弱な国もある。一般的には、ヨーロッパやアメリカなどの諸国は富んで強く、アジアやアフリカなどの諸国は貧しくて弱い。けれども、この貧富と強弱は国の有様であるからには、同じでないのが当然のことである。そうであるのだけれども、今、自国が富強であるという勢いによって、貧弱な国に無理を加えるのならば、いわゆる力持ちが腕の力で病人の腕を握り折るようなことと何の違いもなく、国の権義において許すべからざることである。

 話を近くして、われらが日本国にしても、現在の有様では西洋諸国の富強に及ばないところもあるけれど、一国の権義においては毛ほどの差もないのである。道理にもとって(道理から外れて)曲がったことを被るような日が到来したのならば、世界中を敵に回しても恐れるには足りない。初編の第三段落前半にも述べたように、日本国中の人民は一人残らず命を捨てて国の威光を落とさないようするべし、とはこのことである。

 それだけではなく、貧富富強の有様は、生まれついた天然のものではなくて、人の勉と不勉によって移り変わるものであり、今日の愚人も明日は智者となるべく、昔からの富強も今日では貧弱となるのである。古今、こういった例は少なくはない。我らが日本国人も今から学問に志して、気力を確かなものにして、まずは一身の独立を謀り、そうして一国の富強にまで致すことができるのならば、どうして西洋人の富強を恐れる必要があろうか。道理を備えているものとは交わり、道理を備えていないものは打ち払うのみである。一身独立して一国独立するとはこのことである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536


感想及び考察

■福沢が道理に基づくことを第一の旨として説いていることがよくわかる。

■道理というと「道理に従う」「道理に適う」「道理に反する」「道理に外れる」というのが一般的であると思う。だが、私は「道理にもとる」という原文を敢えて残しておいた。この「もとる」について、日本でもこの動詞の意味を知っている人は、相当に限られていると思う。恐らく、相当に少ないのではないか。私も、この言葉の意味が分からなかった。はじめてこの動詞の存在を知ったのは、大学を読んだ時だったと思う。そこには「払る」と書かれていたと思う。ちなみに、広辞苑で調べてみると、もとる「戻る、悖る・意味 そむく、理に逆らう、ゆがむ、ねじまがる」などとある。だが、私が、この言葉にもっているイメージはまさに「もとる」であって、道理から外れることなのだけど、特にそれが本人の意志とは裏腹にという意味が込められていると思う。つまり、「私には道理にもとることが少なからずあるだろう」として、「私は道理に従うことを志してはいるのだけど、その思いとは裏腹に本来の正しい道とは違った行動や考えをしていることがあるかもしれない」という感じである。▼それで、なぜ私がこの「もとる」をそのままにしたかと言うと、この「もとる」という言葉が使われないことを悲嘆してそうしているのである。と言うのも、この「もとる」は道理や義、仁と言った正しい理を表現する名詞にしか付かない動詞であるからである。少なくともこの福沢の時代は、この言葉が皆に通じたわけである。それが今ではという話なのだ。もとるという動詞が使われなくなった今、我らが日本では知らず知らずか、道理というような言葉を昔より頻繁に口に出さなくなっているわけである。だから、それは嘆かわしいことであるし、「もとるという言葉の使われない今は、道理にもとる時代なのだ。」


要約

 一人が一人に対して力の強さという有様により、無理を加えるのは、二人が二人に対して無理を加えるのとは、権利を無理に侵害しているという点で何ら変わりがない。だから、人の権利が同等であることと同様に、国の権利も同等なのである。これが、本来の道理であるけれども、国の中には、力が強いという有様の違いによって無理を加える国もあり、こういった国に対しては、日本国民が力を合わせて国の威光を落とさぬよう努力をしなければならない。では、日本国民が力を合わせるとはどうったことか、それは、国民それぞれが学問に励んで一身の独立を果たすことである。これができて後、一国としても独立することができる。