孟子を読んでいて4

 孟子を読んでいると、五年前に比べて、自分が随分成長したな。と思う。というのも、そのときは恐らく理解できていなかったことも理解できていることが分かるからである。

 孟子の中にこういった言葉がある。(いろいろな所のを合体させてます)

「あなたは、植物を育てるとき、水をやったり肥料をやったりするだろう。そのことはよく知っているのに、どうして、自分の心に水をやったり肥料をやったりしないのだ。それに、農作物の苗を早く育てようと、一日かけて苗を引っ張ったという農夫もいる。もちろん、この苗は根が抜けて枯れてしまった。どうして、早く育てたいからと言って、心を気長に育てようとせず、それを無理に引っ張ったりするのだ。」

「恥と言うのは、人間にとってとても大事なものだ。恥をかくまいと小手先のことをして人に勝とうとするならば、それこそ恥知らずというもので、どうして人と同等となることができようか。そもそも、恥知らずであることを恥じるなら、恥というものはなくならない。」

告子章句下 第十五章より
「舜は単なる百姓だった。フエツは大工だった。コウカクは魚売りだった。管イゴは囚人だった。孫シュクゴウは漁師だった。百里ケイは貧しい町人だった。だから、天がこの人に大きな仕事を任そうとすると、必ずその人の心と志を苦しめ、その体を酷使させ、その身を過酷な条件に晒させ、行動を空乏(空回り)させ、こうしようと思ったことと反対の結果になるようにする。これは、心を動かさせて(善なる)本性がくすぶるようにし、その未だよくできないことをしっかりとできるようにするためである。そもそも、人というものは間違えて初めてそれを悔い改め、心で煩悶し苦しんで思慮を酷使することで、やっと何とかしようと思うのであり、遂にはこれが顔の表情や声にも出るようになり、こうしてやっと悟るところがあるものである。国家も同じようなもので、法を順守する厳格な家臣や未来を苦慮する賢い家臣がなく、また、外国の脅威もないとなると、こういった国家は亡んでしまう。こういったように、心配や憂いがあってそこに何かが生ずるのであり、安心して楽しんでいると亡んでしまうのである。(然る後に有患に生じて安楽に死するを知るなり)」

 まあ、孟子を信じて頑張るしかなかろうて。

 孟子荀子も若いころ相当苦労したと思う。(恐らく彼らの名が成ったのは50代ではないかと思う。)孔子が苦労していたという話は、孟子荀子論語にもある。若いうちの苦労は買ってでもしろと言うが、そういったものかもしれない。

 易経にも、山天大畜に「家食せずして吉なり」上九「天のちまたを担う」とある。