171.荀子 現代語訳 性悪第二十三 四章

四章

 孟子は人の性が善であると言う。これに答えて言うと、これは間違っている。そもそも、古今天下において、いわゆる善とは正理平治のことである。そして、いわゆる悪とは偏険悖乱である。これが善と悪の区別である。

 今、本当に、人の性がそもそも正理平治であるとするのか。それならば、どうして聖王が必要になってくるであろう。また、どうして礼義が必要になるだろう。聖王礼義があったとしても、どうやってこれ以上に、正理平治に近づけることができようか。

 しかし、実際にはこんなことはない。人の性は悪なのである。だから、古の聖者は、人の性が悪なのであるから、これをそのままにして放おって置けば、偏険で正しいということはなく、悖乱して治まることがないと考えた。このために君主という権勢を立ててこれに臨み、礼義を明らかにしてこれを感化し、法正を起こしてこれを治め、刑罰を重くしてこれを禁じ、天下の人が皆、治に出て善に合するようにしたのである。これが聖王の治で礼義の化である。

 今、試しに、君主の権勢を捨て去り、礼義の感化を皆無にして、法正の治を捨て去って、刑罰による禁を皆無にしたとするならば、このまま手を出さないでおいて、天下の民人が相い交わるということがあるだろうか。このようになったのならば、強い者は弱い者を害してこれを奪い、多い者は少ない者に暴を働いてこれを裂き、天下は悖乱して相い亡びること、束の間のこととなるであろう。このようにして考えてみれば、人の性が悪であることは明らかであり、善というものは偽である。

 そもそも、善く古のことを言う者は、今のことにも節(節度、けじめとちょうどよいさまがあること)が有り、善く天のことを言う者は、人のことに徴(はっきりした、現実として現れること)が有る。そして、論というものは、辻褄が合っていて経験と符合するものが貴いのである。だから、こうした貴い論を言うことができれば、座ったままでも、起きて設けることができ、張って執り行うことができる。

 しかし、今、孟子が人の性を善であると言っていることは、話の辻褄としてもおかしいし経験とも符合しない。さらに、座ったままこれを口に出したとしても、起きて設けられることもなければ、張って執り行われるようなこともない。この誤りのどれだけ甚だしいことだろうか。

 この故に、性善であるならば聖王を捨て去って礼義をやめてしまうべきであり、性悪であるならば聖王に味方して礼義を貴ぶべきなのである。(●故に性善なれば則ち聖王を去って礼義を息むべく、性悪なれば則ち聖王に与して礼義を貴ぶべし)

 また、木を真っ直ぐにするための矯め木があるのは曲がりくねった木があるためなのであり、直線を引くための墨縄があるのは真っ直ぐでないものがあるためなのだ。ならば、君主を立てて礼義を明らかにすることは性が悪であるためなのである。このようして考えてみれば、人の性が悪であることは明らかであり、善とは偽であることが分かる。

 真っ直ぐな木が矯め着を使うまでもなく真っ直ぐであるのは、その性が真っ直ぐであるからであり、曲がりくねった木が蒸して矯め木に当てられることで真っ直ぐとなるのは、その性が真っ直ぐでないことによる。今、人の性が悪であるから、聖王の治と礼義の化があって、そうして初めて皆が治に出て善に合するようになるのである。このようにして考えてみれば、人の性が悪であることは明らかであり、その善というものが偽であることが分かる。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■一応、この性悪篇の解説では、世間でほとんど知られていない「性悪説を唱えた荀子の真意」について追っている。どうして、荀子は、このような強い語調で「人の性は悪である」と訴えねばならなかったのだろうか。それを知るためには、荀子孟子との関係をある程度整理する必要がある。まず、荀子は、孟子より50年ほど後の人である。だから、もしかしたら、荀子が二十歳くらいのとき、孟子を見たことがあったかもしれない。また、荀子孟子の弟子の弟子ということである(これは歴史学的にもはっきりしていない)。▼次に、当時、孟子がどういった位置づけの人物であったかというと、数百人の従者と弟子を連れて諸国を渡り歩き、またその国の王に客人待遇で招き入れられ、さらに、占いにも秀でていて道具を使わないで見えないことや先のことを言い当てていたりしたということらしい。このような人物が、現在に居たらどうであろうか?相当に言論的影響力があろうことは簡単に推測できる。(細木数子程度でもあれほどの影響力があったのだ)▼このような孟子が、豪語して唱えていたのが「性善説」なのである。この「性善説」が社会に与えた影響はさぞや大きいものであったであろう。特に荀子は、学術と関係していて、さらに、孟子と同じ「儒学」を奉じる身であったのだから、この「性善説」は耳が痛くなるほど聞かされていたことであろう。また、それと同時に、「性善説」を奉じている人もたくさん見ていたと思う。その荀子がこのように強い語調で訴えたのが「性悪説」なのである。▼人にはそれを訴える「理由」というものがある。荀子も人であったのだから、当然に性悪説を訴えた理由があるのだ。そういったことに心を馳せて、眼光を光らすこともなく、ただ単に「あいつの言っていることはおかしい」と言うならば、それは子供がピーマンを食べないのことと、なにも変わらぬことである。