宮沢賢治の作品を読んだり聞いたりして

 私は、実は本や文字を読むのはあまり早くない、というか、むしろ遅い。心の中で朗読してしまうため、遅いのだ。ただ、難しい本でも、理解して読むので、遅いが深い読書というのが得意であると思う。それで、最近、オーディオブックで聞くという方法の効率の高さに気がついてしまった。私は、読むよりむしろ、聞いた方が、効率よく新しいことを知ることができるとわかったのだ。それに、聞くのなら、ほかごとをしながらでもできる。読むのは、手がふさがるから、それひとつになってしまう。というか、同時に二つのことまでは、それなりの集中力を発揮したままできるという変な能力もあるにはある。そもそも、大体、何かを読むときも集中している時は、読みながら、読んでいることそれ以外の事を考えているときが多い。

 まあ、そんな感じで、聞くと効率が良いと分かったので、朗読のCDと本を借りてきた。

 それで、宮沢賢治作品を聞いたり読んだりして思ったのは、宮沢賢治が相当に生き物好きであったということ。感受性がとてつもなく鋭かったこと。それを表現する表現力にも優れていたということ。水と星が好きであったということ。因果の道理を理解し、それを童話の中に託そうとしていたこと。すごい想像力があったこと。あと、全体として黒が少し混ざったような青のイメージが多い。などといったことが分かった。

 宮沢賢治の作品は、絵本にしない方がいいとも思った。なぜなら、それを想像するから、それが美しいのであり、それを想像することに価値があるからだ。

 小学校のとき、国語の教科書に、確か、クラムボン注文の多い料理店があったと思う。どちらも、とても印象に残っているものなのだけど、それが両方とも宮沢賢治の作品であったのは、私にとって以外と言うか、宮沢賢治のすごさというかを知れる発見であった。

 結局、私は、宮沢賢治が、何をしたかったのか?ということを知りたくなってしまった。童話ばかり作っているのだから、子供にも伝えたかったのであるし、多くの生き物が登場するのだから、生き物の、また命の尊さを伝えたかったのであろうし、悪いことをすると何らかの罰を受けるのだから、因果という真実を伝えたかったのだと思う。

 すると、彼の伝えたかったことは、平和であり、争いの無い心であるとも思う。