孫子の深奥 奇正・勢節・虚実

 孫子の一番の精髄は、やっぱり、その超現実的にして、超理論的な、当たり前の集積である哲学体系であろう。しかし、その理解を深めて、最も見難い深奥とも言える部分は、この奇正・勢節・虚実と言えるのではないか。

 「能ある鷹は爪を隠す」という言葉を例にとると、この奇正・勢節・虚実の概要を説明し易いように思う。「能ある鷹は爪を隠す」ということを体現している人物がここにいるとして、それを説明したい。

 「能ある鷹」は、たゆまぬ努力や恵まれた才能によって、「実」を備える。そして彼は、「爪を隠す」という「正」の状態を持って普段の生活を過ごしている。しかし、彼にはやり遂げないとならない戦いがあるのであって、その思いを常々心に「勢」として鬱積している。

 そして、遂に時はいたり、彼は、自分の爪を出すときが来た。

 彼は、「正」の状態から、「奇」の状態へと移行する。こちらは備えた「実」であり、相手は備えがない「虚」である。彼は、「節」をもって、「勢」を解放し、その鬱積した思いを行動に移す。そして、「節」をもってして、「奇」に転じた彼は、新たな「正」と「勢」の状態に移行する。相手は、隠された爪「実」を見抜けず「虚」の状態にある。ここに「実」である彼の爪が、「勢」として後ろから一気に襲いかかる。もはや、相手に反抗する術はない。奇正・勢節・虚実を理解している能ある鷹は、圧勝するのである。

奇正は陰陽に似ている。
勢節は連続とその変化点に似ている。
虚実は虚偽と真実に似ている。

陰のない陽は無く、陽のない陰も無い。
変化のない連続は無く、連続のない変化は無い。
真実に虚偽は無く、虚偽に真実は無い。

昼のない夜は無く、夜の無い昼は無い。
夕焼けのない昼夜は無く、昼夜のない夕焼けは無い。
日の無い昼は朽ち果て、日のある昼は栄える。

 まあ、孫子自体を何回も読んでもらった方が分かりやすいと思う。韓非子風のかっこいい文章にするために、孫子本文より分かりにくくなっている。ただ、普段の生活として、こういった、「見えているいるけど、よく観ないと、診えないこと」があることを認識するようになることが、孫子を理解することそのものでもあると思う。念のためもう一度繰り返すけど、孫子本文が一番良い。興味をもたれた方は、孫子本文を勉強してほしい。ちなみに、兵法の基本は「実」である「真実」に他ならず、「真実」の無い兵法とは、己の意を達するためだけの「虚偽」の兵法であり、その根本において最も脆弱である。故に、「真実のない兵法」(己の意を達するだけの兵法)は最も弱い。だから、「生兵法はけがの元」と言うことわざがある。生半可な理由で孫子の理論を扱うと、とんでもない大けがをすることになるので、ゆめゆめご注意ください。ナポレオンなんかはこの典型で、一時はヨーロッパを席巻するものの、最終的には皆から裏切られ、離れ小島で孤独死している。