119.荀子 現代語訳 議兵第十五 一章

議兵第十五

一章

 臨武君と孫卿子(荀子のこと)が兵事について趙の孝成王の前で議論した。

 王「兵事の要について教えて頂けませんか?」

 臨武君が答えて「上は天の時を得て、下は地の利を得て、敵の変動を観察して、敵より後に出発して敵より先に到着していること、これが用兵の要術というものです。」

 孫卿子「そうではありません。私の聞くところの古えの道では、用兵と攻戦の本源は民衆を壱にすることにあるのです。
 弓矢が調整されなければ、あの弓の上手なゲイですら小さな的に矢を当てることはできないし、馬車の六匹の馬がお互いに相性が悪ければ、あの有名な造父でも遠くまで到着することはできないでしょう。そのように、士と民がお互いに親しみ調和していなければ、あの湯王や武王ですら必勝を期することができないのです。
 だから、善く民衆を調和させる者こそ、すなわち善く用兵する者なのです。つまり、用兵の要は善く民衆を調和させることに他ならないのです。」

 臨武君「そうではない。兵が貴ぶのものは勢と利で、行うところは変と詐です。善く用兵する者は、たちまちに現れて長く闇に隠れ、その出てくるところが知ることができない。孫子呉起もこれを用いて天下に敵が無かった。それなのに、どうして民衆が調和することなどを待てましょうや?」

 孫卿子「そうではありません。私の言っているのは仁人の兵のことであって王者の志というべきものです。あなたの貴んでいるのは権謀勢利のことであり、行うところのことは攻奪変詐というものです。そしてこれは諸侯たちの用兵というものなのです。

 さらに言えば、仁人の兵に偽ってはなりません。そもそもかの偽るべき者とは、怠慢な者であり、自分勝手に決めてしまう者であり、君臣上下の間に大きな隔たりがある者なのです。だから、桀王によって桀王に詐術を用いるのなら巧拙の差があってまぐれ勝ちというものもあるのでしょうが、桀王によって堯王に詐術を用いるのなら、これは例えるなら卵を石に投げつけて指で沸騰したお湯をかき回すようなもので、また水に飛び込んで火の海に突入するようなもので、そのようなことをすれば溺れるか焦げ死ぬだけです。

 それ故に、仁人上下、百将一心、三軍同力、臣下が君主に対する態度と下が上に対する態度は、子が父に仕えて弟が兄に仕えるかのようで、腕で頭を守り胸腹を覆うようなものなのです。仮に詐術によって襲ったとしても、最初に驚かして警戒させておいてからその後で攻撃を加えるのと同じなのです。

 仁人が十里の国を治めればほとんど百里先まで聴こえがあり、仁人が百里の国を治めればほとんど千里先までその聴こえがあり、千里の国を治めるならばその名声は四海の内全てに聴こえがあるというもの、間違いなく聡明であって警戒して調和するこは一つであるかのようなのです。

 だから、仁人の兵は、集まれば伍隊を組んで散開しても列を成して、その長いことは宝剣莫邪の長刃のように触れる者を切断して、鋭いことは宝剣莫邪の切っ先のようにそこに当たる者は潰れることとなるのです。同じところに止まっている時は、盤石のようなものでこれに触れれば木っ端みじんに砕け散り、さんざんにやられて退却するばかりなのであります。

 さらに、暴国の君主は誰とともに戦に来るのでしょう。彼がともに戦に来るのはその国の民衆に他なりません。そうであるけど、この民衆たちがこの仁人に親しんで喜ぶことは父母に接するかのようで、この民衆たちがこの仁人を好んでかぐわしい香りだとすることは花の香りのようで、この民衆たちが自国の君主を顧慮することは犯罪者か仇敵と同じであるのです。人の人情として、例え暴君の桀王や大泥棒の盗跖のような者と言っても、どうして自分の嫌いな者のために好んでいる者を傷つけるということがありましょうか。これは、父母を傷つけるのと何ら変わりありません。ならば、必ずこちらに来て襲撃を告げる者も出てくるでしょう。このような状態で偽ることなどできましょうか。

 だから、仁人が国を治めれば日々に明らかになって、諸侯も先に従順すれば安泰であるが、後で従順すれば危険となり、敵対すれば削られて反対すれば亡ぶこととなるのです。詩経 商頌・長発篇に「武王が旗を立てて 敬虔にまさかりを取る 烈火の火のごとく 私の心を動かす」とあるのはこのことを言ったのであります。」

孝成王と臨武君「善し。」


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■臨武君が孫子呉子などに代表されるような兵術について語り、孫卿子が儒術について語る。ここで際立って感じられるのが、兵術と儒術の別次元性である。兵術というのは戦場で役立つものに相違ないが、儒術は戦場以前の問題を論じているのである。兵術によって外難を食い止めるのは、それがいかに巧緻であったとしても、所詮は下策なのである。これらのことは、孫子との整合性も取れる。だから、兵術というものは、儒術のうちで不幸にして到らなかった部分を補うものでしかない。