わかりやすい論語2 論語の「はじめに」

はじめに
論語の一番最初にある言葉を紹介します。論語を学ぶ上で、この言葉はとても大事です。まさに論語の「はじめに」に当たる言葉と言えるでしょう。また、論語を学んでいて、この言葉に時折戻ってくることはとても大事なことと思います。


子曰く、学びて時に之を習う。また説(よろこば)しからずや。
朋あり遠方より来る。また楽しからずや。
人知らず、而(しこう)して慍(いか)らず、また君子ならずや。

豆知識
「子曰く」は、論語の章の始まりで一番多い言葉です。意味は「先生は、こうおっしゃった」です。「子」は、敬意を持つことのできる先生という意味です。単に子というときは、孔子(孔先生)の言葉ということになっています。これ以後、「子曰く」は、現代語訳では省くことにします。
また、ここで本文として最初に取り上げられている文章は「書き下し文」と言います。本当の漢文は、漢字の並び方が違います。そして、送り仮名などのひらがなの文字がありません。漢字の順番を日本語と同じにして、最低限のかな文字を補い、漢文を少しだけ日本語に近付けた文を「書き下し文」と言います。

(学而第一より)

豆知識
論語は、全部で20に分かれています。これを篇と言います。その篇の一番最初の「章」の初めの二文字が、篇名になっています。だから、この「学而」自体に深い意味はありません。でも、「学而」を和訳すると、「学んで、そして」という意味になります。これから論語を学ぼうとする人に、論語を「学んで、そして…」とこれからのことを想像させるような言葉が最初にあることは感慨深いことです。今回紹介するのは、この学而第一の第一章です。


現代語訳
新しいことを学んで、その学んだことを絶えず復習することは、(説かれるという)よろこばしいことではないか。
学問の仲間が遠いところからでもやってきてくれるなら、それは楽しいことではないか。
(学問をしている)自分のことを誰も知らないでいて、(たとえ学問をしていることが報われなくても)そのことに不平不満を持たないならば、それは君子(立派な人、理想的な人格者)と言えるではないか。

豆知識
漢文は、漢字という、日本語にもある字を使っています。だから、書き下し文を読むと、大体の意味はわかるものです。でも、漢文で使われている漢字と、日本語の漢字は、同じ形でも意味が違うときがあります。ここで意味を取り間違えると、せっかくの論語の言葉も、勘違いして理解してしまうことになってしまいます。「あれ、なんか意味が分からないな、おかしいな」と思ったら、漢和辞典を引いてみましょう。「この漢字にはこんな意味もあったんだ」と新しい発見があったり、「この一文は、こうゆう解釈の仕方もあるんだ」と自分のなりの解釈が見つかるかもしれません。新しい発見への胸の高鳴りは、学問のだいご味です。学んで問うのが学問です。辞典や辞書に問うことは、めんどくさいけれど、そのめんどくささを上回る答えを返してくれます。


解釈
 新しいことを知るだけでは、まだ学問したとは言えません。知ったことを何回も復習して自分のモノにしたとき、やっと学問したと言えるのです。新しく学んだことを、自分のモノにしたとき、それは「誰かに学んだことを“説”明することができるようになるとき」であり、「わからない、知らないという、無明や無知の状態から、自分が解放されて“説”き放たれるとき」と言えます。だから、「説」は、よろこばしいことなのです。

 学問の仲間が、遠いところからでもやってきてくれるとき、これは、少し孔子の生きた時代を考えないと意味がわかりません。というのも、孔子の生きた時代は、今のようにインターネットもなければ、新聞のような出版物も無く、自動車や鉄道さえない時代なのです。孔子の生きた時代に、遠いところに行くということは、自分の生命を危険にさらすことだったのです。そんな危険を冒してでも、誰かが自分の所に来て、自分と学問をしてくれるなら、そんな楽しいことはないですね。でも、遠いところは、そうゆう遠いところ以外にもあります。いつも身近にいても、自分のしている学問を、その身近にいる人が理解してくれないなら、その人の心は自分の心から遠いところにいるのです。自分の身近にいる人が、学問の楽しさに興味をもってくれたとき、こういった遠方からの来客も本当に楽しいものです。

 そうして、説ばしく楽しく学問をしていても、自分のことを評価してくれる人が少なかったら不平や不満はたまるものです。努力して、寝るのも我慢して、どれだけ勉強しても、自分を理解してくれるのは一部の人で、世間からは変人扱い、モノ好き扱いされていては、やっぱりさみしいものです。でも、そんな状況でも、学問の説ばしさや楽しさを忘れない人、それが君子なのです。論語は、君子になるための学問を記した本です。ですが、君子という言葉の意味は、簡単に分かりません。君子という人がどんな人かは、論語を学んで習い、自分の生活で試し、実践し、そうすることでやっと分かってくるものです。

わかりやすい論語まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20120207/1328611563


おまけ 英訳

Confucius said.
Studying and constantly learnig will open your heart.
It is a pleasure that friends come with passing a long distance.
Even if the world never discover him,he has no discontents.We can call him "Kunshi".