ヘロドトス『歴史』を読み終わった

ヘロドトスの『歴史』を読み終わった。

おもしろかったが、これについては、既にあると思うけど、各個人に注目して編集し直すともっと面白く読めるものだと思う。

というか、これを題材にした作品は結構あって、スパルタの王、レオニダスがペルシアのクセルクスを迎え撃つ部分は、映画「スリーハンドレッド」になっていて、これについては既に見たことがあり、映画としても面白かった。アクション&ファンタジーが好きな人は見てもらうといいだろう。


とはいえ、面白い、面白くないは、所詮は凡人の見解でしかなく、いやしくも賢人君子たらんと思う者ならば、それ以上のことを読み取られねばなるまい。

それで、私が一番気がかかりになったのは、信託についてのことである。ヘロドトスはかなり「信託や神の意向」を重要視していて、これは論語などで言うところの天命のことである。

また、一般的に徳と言われているもの、つまりvirtueも重要視していて、アテナイの人でペルシア戦争の英雄とされ、サラミスの海戦の立役者として社会科でもその名が知られるテミストクレスについては、単なる策士だったとして結構こき下ろしている。

あるいは散逸があって本当は結びではないかもしれないが、結びの一節も、称賛に値するものであろう。というのも、ペルシアの初代の王であるキュロスに関するこんな逸話が書かれているのだ。
キュロスの臣下のひとりが、キュロスに対して
「王よ、われわれは多くの地を征服しました。このペルシアの地は、地形も悪く、環境も悪く、住むのには適してはおりません。われわれは、今こそ根拠地をもっと環境の良い所に移しましょうぞ」と言うと、キュロスはこう言ったのだ。
「われわれがこのような偉業を成し遂げたのは、この地味の悪いペルシアの地に住んで、体を鍛え、また知恵を鍛えているからなのだ。環境の良い所に移ったら、すぐに堕落して、たちまちにしてペルシア民族は他民族に隷従することになろうぞ」と。

ペルシア戦争で負けた時の王は、キュロスから数えて四代目のクセルクスであり、その後、その遠征軍を担ったのは彼の親近者であるマルドニオスであったが、ギリシア軍がペルシア軍の本陣を占拠した時、時のスパルタの王はこのように言ったらしい、「ペルシア人とは実に滑稽なものよ。このような贅沢な暮らしをしておりながら、何の奢侈品もなく、質素な暮らしに甘んじておるギリシアを征服しようと思ったのだからな」と。

我が日本にも、これと同じような教訓がある。「憂患に生じて安楽に死するを知る」と。『孟子』より


また、戦争の引き金は必ず後に示すどちらかのことである。つまり、当時は王政であったこともあろうが、戦争の引き金は、誰かの怨みか欲が発端なのだ。これは他の歴史書、例えば史記でも共通していることである。賢人君子たらんとするものが、欲を遠ざけて、怨みを恐れるのはこのためである。またその発端となった、欲人、怨人がろくでもない生涯を送り、みじな最後を遂げることは言うまでもないだろう。