ローマ人盛衰原因論を読んで

ローマ人盛衰原因論は、『法の精神』で有名なモンテスキューの著作で、題名の通りのことが考察されている。

この本の難しいところは、ローマ史を既に知っていることが前提として書かれていることである。このために、日本人ならおよそ知らないような人物の名前も出てきて、とても読みにくい。とはいえ、幸いな事に、現代ではインターネットにウィキペディアという便利なサイトがあり、これを使えばなんとかならないこともない。

これは分析が書かれているだけなので、普通の歴史好きが読んでも全くおもしろくないであろうと思う。

時代的には、先のヘロドトスの書いた『歴史』の時代から、マケドニアアレキサンダー大王の時代を経たあたりのことが書かれているので、オリエント時代をウィキペディアで確認しておけば、『歴史』の続きを読んでいるようで大変に興味深く読める。

やはり、古典と言われるような名著を残した人の著作だけあって、その分析力は凄まじいと言える。


いろいろと面白い分析があって、ローマ史にもう少し詳しくなってから読んでみたいとも思うが、とりあえず、今日読んだ部分で興味深かったことをメモ程度に残しておこうと思う。

モンテスキューによると、平和な時代には、英雄は現れないと言う。つまり、平和な時代、今の日本のことであるが、では、既に力のある者が強固に自分の地位を保ち、既に力のある愚人でもそもそもが平和だから世の中を治めることができ、既に力のある貪欲な者がさらに贅沢を求めても何の弊害も起きないと言うのだ。つまり、無能な人間が自身の地位を保つだけで、有能な人間が現れてくることはないと言うのである。

確かにその通りである。

賢人君子がありがたいのは乱れを治めるからであり、賢人君子を人が求めるのは危機が目の前に差し迫るからであり、賢人君子はもとより清貧に甘んじるのであるから平和以上のことは望んでいないのだ。だから、動乱の世にこそ、賢人君子は、乱れを治め、人から求められ、平和を実現するのである。

なんとも皮肉なことである。

私の知る限りだと、小人というのは、危機が差し迫るまで賢人君子の力を当てにしない。そればかりか、賢人君子の真意を理解できていないことにも気が付かずに自分の方が賢いと思い、挙句の果てには欲と利己愛から賢人君子の忠言を聞き入れずに、結局は自滅するか、さらに乱れを大きくしてしまう。

西郷隆盛は、その著書『遺訓』に、「賢人君子は、小人を助けぬものとぞ知れ。小人は忠言を聞けば怒るればなり。」と書いているが、実にそのとおりなのである。

さしもの賢人君子も、不幸せを願っている人を幸せにすることはできない。