信なくば立たず

今日、安部首相が解散を表明してしまった。

まさか、国民のことをここまでみくびっているとは、大変に驚く。

正直な所、解散という話はマスコミのでっち上げか、首切りを示唆して自民党内部を抑えるための策略とばかり思っていた。

現時点での解散は、この前の「信を問う」ための橋下市長の辞任劇のように、あまりにも国民感情とかけ離れている。しかも選挙はこの暮の忙しい時期と来ている。前に予測したように、恐らく、選挙率はかなり低くなるのではないかと思う。

さて、そこでどうして国民のことをみくっているかと言うと、まず、今日の記者会見でも使った「信なくば立たず」という言葉の意味をよく分かっていないようであるからだ。

まず、「信」とは、論語など、その他の漢籍を紐解いて意味を考えてみると「裏表がなく、行動と言っていることが一致すること」である。また、そもそも「信」とは、徳の一箇条であり、決して「問う」ものではないからだ。

つまり、「信」が「徳」という己に属するものである以上、あくまで「信」とは「外部(己以外の者)」に問うものではなく、己の中で反芻して問うべきものなのである。

どうしてこの己に属する「信」の徳を国民に問うのであろうか?そんなことは、寝る前でも朝起きた時でも、自分の胸に手を当てて思う存分に問うてほしいものである。ましてや、衆議院を解散して、国費を乱用し、世間を騒がすとはもってのほか、政略学ならまだしも、君子学においては問題外の行為である。

また、「信なくば立たず」という論語の一節を引用しているが、もちろん、この引用箇所を安部首相が理解していないだろうことも、また、そもそも読んですらいないであろうことも簡単に想像がつく。

問題の引用箇所は、『論語・顔淵第十二』にある。

子貢政を問う。
子曰く「食を足し、兵を足し、民これを信ず」
子貢曰く「必ずやむことを得ずして去らば、この三者において何をか先にせん」
曰く「兵を去らん」
子貢曰く「必ずやむことを得ずして去らば、この二者において何をか先にせん」
曰く「食を去らん。古より皆死あり。民信なくば立たず」

現代語訳
孔子の弟子の子貢が政治について質問しました。
孔子が答えて「政治とは、食物を十分にすること。軍備を備えて安全を確保すること。民衆がこれを信じていること。この三つだ」
「では、この三つのうちで、どうしても捨てなければならないことがあるとしたら、どれになるのでしょうか」
「軍備を捨てよ」
「では、残りの二つのうちで、どうしても捨てなければならないことがあるとしたら、どれになるのでしょうか」
「食物を十分にすることを捨てよ。死とは人間として免れることのできるものではなく、昔からあるものである。だから食物がなくなって死者が出るのは仕方のない事だ。
しかし、政治にそもそも「信」がないのなら、民衆もそれを見習って、自分自身の「信」をおろそかにすることになる。
こうして、民衆に「信」の徳がなくなれば、民衆は、いたるところで詐欺を働いて、税金も納めず、言ったこととやることがちぐはぐとなる。もちろん、このような人ばかりが住むところに、国家を樹立させることはできない。だから、民衆が信の徳を保つようにすること、またその手本として為政者が信の徳を保つこと、これが最も大事であるのだ」

ということになる。

だからあくまでも、「信なくば立たず」とは、そもそも為政者自身に「信の徳」があるかどうか、ということが問題の焦点なのである。

ならば、民衆が為政者を信じているかどうかとは関係のないことのはずだ。

だから言うのだ、国費を乱用して世間を騒がせて国民に信を問う前に、自分自身の胸に手を当てて自分に「信の徳」があるか問うてくれと。

また、そもそも安部首相は、前回の衆議院選挙で「国民の向こう四年間の『信』任」を得て、首相の職務を果たしているはずなのだ。何があってもこの「向こう四年間」は職務を全うすべきである。そうでなければ「国民の信任を裏切る」ことになるのだ。

本当に「信なくば立たず」と思っているのなら、自分自身がまず始めに「信の徳」を己に問い、次に、少なくとも向こう四年間は、「国民からの信任を裏切らず」職務を全うすべきなのである。

アベノミクスが成功したか失敗したか、成功しそうなのか失敗しそうなか、それを私は判断できないが、本当に安部首相がアベノミクスを「信じて」いるのならば、解散などせずに、あと二年間踏ん張って、アベノミクスを成功させればいいではないか。それが本当の意味での「信なくば立たず」であろう。

為政者が、言葉の意味もわかってないのに言葉を濫用して、己が知らないことも知らずに知ったかぶりをして、信の徳を己に蔵することもなく言っていることとやっていることがちぐはぐであれば、世は乱れるばかり。

また、本当の為政者である国民がこの詭弁に気づかないようでは、日本の義務教育にも、また民主主義という政治委任制度にも、疑問を抱かざるを得ないことになる。