大学 読みやすい 現代語訳(四書五経)(儒学)

こちらは、2014年9月12日に電子書籍として発売する予定である「大学 読みやすい現代語訳」のサンプルとなっております。「漢文」が苦手な方に儒学に親しんでいただけるように、訳出してみました。無料で提供しないのはしっかりと読んでいただくためです。ご理解のほどよろしくお願いします。

※製品版には、ふりがなや脚注が付けてあります。

大学 現代語訳

大学 現代語訳


はじめに

 この『大学』という書物は、儒学の経典「四書五経」のうち、四書の第一に挙げられるものです。あの薪を背負って本を開くメガネの子ども像「二宮金次郎」が手にしている書物こそ、この『大学』に他なりません。また、この『大学』は、戦前、教職者採用試験の必須科目であったこともあるそうです。これに加えて、江戸時代の侍教育が、儒学を基調に行われていたことを考えると、『大学』が日本に及ぼしてきた影響は多大なものです。

 しかし、時代は移り、人が生活する環境も変わりました。特に、儒学の経典で使われている「漢文」は、日常生活に縁遠いものとなってしまいました。また、この変化に伴って『大学』それ自体も、日本人から遠く離れてしまったように思われます。「武士道」も「大和魂」も忘れ去られそうになっている今だからこそ、この『大学』が広く日本人に読まれるべきと思われてなりません。

 ただ、「漢文」が日本語に近いこともあって、今までは「漢文」にこだわった古めかしい本の方が多く出版されてきました。これでは、現代の人が『大学』に親しむことはできません。そこで、今回は、「漢文」を外国語と割り切って、大学を訳出してみました。


この本の読み方

 漢籍は全て漢字で、しかも聞きなれない名詞が多いため、その漢字が何を示しているのか分からなくなるときが多くあります。このため、以下の様に括弧を用いることで、この問題に対処しました。

本の名前には『論語』のように、『〜〜』二重括弧
人名には[孔子]のように[〜〜]大括弧
地名には〔北京〕のように〔〜〜〕甲括弧
王朝や国の名前には〈漢〉のように〈〜〜〉山括弧


大学章句序

 この『大学』は、昔、大学で人を教える時に用いた方法について記した書物です。

 そもそも、天がこの地上に人を生じさせるときは、必ず仁義礼智という本性を与えます。

 けれども、各人には、それぞれが受けるその人に特有の気質というものがあります。このため、すべての人が、仁義礼智という本性を知り、生きているうちにその本性を全うできるわけではないのです。

 しかし仮に、本性を尽くすことができる聡明叡智の人が、一度でもこの天と地の間に出ることがあったとします。すると、天は、この人に億兆の人の指導者となることを命じます。こうして、天は、この人に人々を治めさせ、この人によって人々を教え、人々を仁義礼智の本性に立ち返らせるのです。

〜中略〜

大学

[程子]曰く、「『大学』は[孔子]の残した書物であり、初めて学ぶ人が徳に入るための門のようなものです。今現在、昔の人がどのように学問をしていたのか、その次第を知るためには、現存するこの『大学』に頼るしかありません。この後に、『論語』や『孟子』を読むべきです。学者が必ずこの書物を拠り所として学ぶならば、学問の本道から外れてしまうこともなくなるでしょう」

経一章

『大学』が指し示す道とは、誰からも納得されるような明徳を明らかにすること、人々をお互いに親しくさせること、至善(しいぜん)に止まること、この三つです。

 止まることを知ってこそ、定まることができます。
 定まることができればこそ、静けさを保てます。
 静けさがあればこそ、安らかさを得ることができます。
 安らかさを得てこそ、よく思慮することができます。
 よく思慮することができてこそ、得ることもできるのです。

 物には本末があり、事には終始があります。何が先で何が後なのかを知ることができれば、道も近くなるでしょう。

〜中略〜

 物事の仕組みに通じてから、知が至ります。(致知・格物)
 知が至ってから、誠意が持てます。(誠意)
 誠意が持ててから、心が正しくなります。(正心)
 心が正しくなってから、身が修まります。(修身)
 身が修まってから、家が整います。(斉家)
 家が整ってから、国が治まります。(治国)
 国が治まってから、天下が平らかとなるのです。(平天下)

 天子から庶民にいたるまで、皆、修身が根本となることは同じなのです。根本が乱れているのに、末端のことが治まるということは、あり得ません。厚くするべきところを薄くしたのに、その薄くしたところが厚いということは、未だかつてあり得ないことなのです。

大学 現代語訳

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