開放システムと閉鎖システム(人の行動原理に当てはめたとき)

http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20140317/1395037950

前の記事を読んで頂いた方は、開放システムと閉鎖システムという言葉が、最低でも二種類の意味を持っていることを分かっていただけたと思う。

それで、これらか私が述べることは、システム工学や複雑系などと言った学問分野で使われる意味の開放システムと閉鎖システムのことになる。だから、開放システムと言えば、内部が外部に開放されたシステムのことであり、閉鎖システムと言えば、内部が外部に対して閉鎖されているシステムのことである。

それで、コンピュータは、前の記事にも書いたように、今のところは「完全開放システム」である。つまり、コンピュータの知は、外部に対して完全に開放されているのだから、必ず何者かによって意図された通りにしか動かないわけだ。

これに対して、人やその他の生物は「閉鎖システム」である。何故にそうであるかと言うと、生物は、誰にも予測されない動きをし得るからである。誰にも予測されない動きをし得るということは、その中に外部に対して閉鎖されたシステムがあるからなのである。

ここまでは、前回までの復習で、人やその他の生物は「閉鎖システム」を必ず内包しているのだけど、それと同時に「開放システム」の部分も持っているわけである。犬が、人の意図したとおりにお手をするならば、それは開放システム的な動きである。これに反して、犬が、お手と言っているのに、かみついてきたのなら、これは閉鎖システム的な動きである。

これで、開放システムと閉鎖システムの意味は分かってもらったものとして、ここからが私の思う有用な理論についての話になる。これは、西川アサキという方が、「魂と体・脳」という著書で明らかにしていることらしいが、私は、集合知とは何かで、いわば、又聞きした話である。

この西川さんは、「開放システム」と「閉鎖システム」が幾つか集まった場合で、どちらにリーダーができやすいか、ということをコンピュータのモデルを使って検証した。その結果、「開放システム」が幾つか集まった場合は、リーダーができる時とできない時があるのに対して、「閉鎖システム」が三つ以上集まると、必ずリーダーができると言うのだ。

つまり、秩序正しい犬が何匹も集まるとリーダーが出現したり出現しなかったりするのに対して、気まぐれな猫が三匹以上集まると必ずリーダーが出現するという結果が出たことになる。この結果には、ほとんどの人が戸惑うのではないか。

しかし、言われみればそれほど難しいことではない。人というのは、共感を求める生き物である。というのも、人は、気狂いでさえなければ、どんな変わった人でも、そこに居る10人全員が右を向けば、自分も右を向きたくなるのである。人間には、こういった同感を求める作用が必ず内包されている。

そうであるのに、周りの人が「閉鎖システム」で、何を考えているのかイマイチ分からない場合、その人はどうするだろうか。当然に、「皆のことを知っている人」を求めるだろう。そうすると、この「皆のことを知っている人」がリーダーとなるのだ。だから、構成要素が「閉鎖システム」である場合は、安定して一人のリーダーができやすいことになる。

これに対して、周りの人が「開放システム」で、何を考えているのか、どう動くのか、大体予想できる場合、この人はどうするだろうか。この人は、流されるままに、自分の思うままに動いていれば、社会から逸脱することがないのだから、リーダーなど求めない。だから、リーダーが出現することは稀となるのである。

この原理をうまく用いていたのが、江戸時代の幕藩体制と言える。なぜなら、幕藩体制とは、一人のリーダーである幕府に対して、閉鎖システムである多くの「藩」が追従するシステムだったからである。藩と藩とは基本的に交流がなく、関所によって藩同志の交流は閉ざされていた。そうであったからこそ、藩としては、日本で唯一、他の藩のことを知っている幕府に頼らざるを得なかったのである。

また、藩が独自に国外の情報を持つことは、このモデルを維持する上で障害以外の何物でもない。なぜなら、幕府が独占しなければならないはずの情報を、藩が持ってしまうことになるからである。だから、鎖国をして、唯一幕府のみが全ての情報を持っているという状況を作り出していたのだ。つまり、鎖国政策も、この仕組を理解した上で日本を安定させるための、非常に合理的な政策だったのである。

すると、例えば北朝鮮などの独裁国家のことが気になると思う。なぜなら、独裁国家こそが最も多くの「開放システム」を内包しているからである。例えば北朝鮮など、「将軍様」と言うだけで、ほとんどの問題が解決出るだろう。これはリーダーが必要ない、つまり独裁者が必要ない場合の典型である。しかし、問題はそんなに簡単ではないのだ。なぜなら、独裁国家といえども、もしも、リーダーしか知り得ない多くの人の個別の情報があって、さらに、その多くの人がお互いに交流も無かった場合、民衆は閉鎖システムとなり、リーダーが必要となるからである。

アリストテレス政治学には、このことが的確に指摘されているらしく、「独裁国家が長続きする秘訣は、民衆同志での信頼を排除することである」と書かれているらしい。アリストテレスは実に偉大と思う。ただし、独裁国家がこの秘訣を守っても、人が信頼を尊ぶ生き物である以上、いつか民衆同志に信頼が芽生えるのであり、独裁国家は最も長く続いた例でも100年に満たないということだったと思う。

それで、結局何が言いたいかというと、「画一的」になると、組織や宗教や統一の思想は必要なくなって、むしろ壊れるということが言いたいのだ。だから、共産主義が壊滅したのも必然と言えよう。あれは典型的な画一主義である。つまり、組織が長続きするための秘訣は、あくまでも、「多様性があること」であり、言い換えると、閉鎖システムを多く持った人が多く居ること、なのである。