法律の本質1

1.法律の分類の曖昧さ(会社法を例として)

法律について勉強しても、なかなか釈然としない理由がわかってきた。

要は、法律が何のためにあるのか「目的が分からない」ということである。

現在、私は、いろいろな法律(といっても、今は憲法民法くらいだが)の入門書を読んでいるのだけど、法律を種類別に分けるような分類はあっても、目的別に分けるような分類が解説されていない。いや、種類別に分けることが目的別なのだ。と思われるかもしれないけど、法律の持つ目的は多義的である。だから、例えば、民法を、A目的別、B目的別、とシャッフルしなおして、配列を全く変えてしまうことも可能だと言うのである。

例えば、会社法を例にしてみる。

会社法の位置づけとしては、「会社法民法の一部であり、厳密には、民法のうちで営利法人を対象とした特別法である」ということになるらしい。

また、この会社法の中身を分類してみると、「ファイナンス(金融手続きなど)・ガバナンス(会社統治)・リオーガニゼイション(合併など)」となるらしい。(岩波新書 会社法入門より)

だがしかし、この会社法の中には(実際に会社法の条文は読んでいないので半分想像であるが)、1.手続きに関する規定もあれば、2.禁止事項も記されており、3.さらに推奨的なことを勧めるだけのことや、4.自由であることを明言する部分もあるのである。

だから、会社法自体の中身は、

1.総則、2.株式会社、3.持株会社、4.社債、5.組織変更など、6.外国会社(クロスとかクロスボーダーと言われるらしい)、7.雑則、8.罰則

と配列されているのだけど、実際には、この分け方の他に、

私の提示した1.手続き、2.禁止、3.推奨、4.自由の宣言という分け方、

さらに、1.ファイナンス、2.ガバナンス、3.リオーガニゼイション、という分け方もあり、

ここに提示しただけでも、会社法の条文は最低で3つの仕方で分類することができ、さらにこれらの違った分類の仕方も間違っていないということになるのである。

これはまた、憲法や他の法律分野でも言えることであると思う。

こういったわけであるから、冒頭に「目的が分からない」としたのである。

確かに法自体は、憲法にあっては国体を定めるため、また法律にあっては社会運営を円滑にするためにあるのであろう。しかし、一旦その中を開いてみると、禁止するためにあるのか、自由にするためにあるのか、手続きを規定するためにあるのか、全然わからないのである。なぜなら、そのようには分類されていないのだから。

しかし、我々は、普段の感覚しか持ち合わせていないから、法律とは、禁止するためにあるのか、自由にするためにあるのか、手続きを規定するためにあるのか、という自分に引き当てた実益的色眼鏡でだけ見ようとする。しかし、法律の条文はそのように並べられていない。これによって、これは一体何のためにあるものなのか?と迷ってしまうのである。

また法律家もそういった分け方はしないみたいで、入門書だとほとんど型通りの分類しかしていなない。しかも、その上、われわれは、自身の実益という色眼鏡を付けていることに気が付けないから、この法律の小道で、素人は自分がどうして迷っているのかさえ分からなくなってしまう。そうして法律の条文は、専門家以外にはさらに縁遠いものとなる。