安保法案と三権分立について

安保法案の是非は別として、前々から私が主張しているように、今回の安保法案の一番の問題点は、「憲法違反」であることだと思うのだけど、どうだろうか?

一応、日本の憲法では、三権分立というのが根本になっている。ちなみに、このことは、中学校を卒業していれば誰でも知っていることのはずである。

この三権分立について簡単に説明すると、

立法権:国会(法律を作って国のあり方を決める)
行政権:内閣と官公庁(条例や規則を定めて実際の国の運営をする)
司法権:裁判所(国の運営に関することが法に基いて行われているか判断を下す)

ということであったと思う。

なぜ、この三つの権利を分離したかと言うと、

例えば、立法権と行政権が同じであると、行政を行っている当事者が、自分に都合のいいように何か進めようと思った時に、法律をその都合に合わせて変えるような事態が起こってしまうかもしれない。

具体的には、悪代官(代官は代わって官をするので行政を行う人)が、町娘を見初めて、最初は権力を使って秘密裏になんとかしようとしていたのだけど、それも叶わないと分かるやいなや、すぐに、立法権を行使して、「町娘は代官に嫁がなければならない法」を作ってしまったというような場合である。そもそも有力な人間に、法律を制定する力があると、このように鬼に金棒というわけだ。


次に、行政権と司法権が同じ人に帰属していた場合は、行政を行ってる当事者が、自分の失敗の責任を取らないような事態が発生してしまう。

具体的には、悪代官が、町娘を見初めたとして、思いを遂げるために行政の権力を使い、この町娘の親が営んでいる呉服問屋の商売の邪魔をして、こうしてこの町娘をなんとかしようとしていた。
だけど、その途中で、悪代官が、権力を変な風に使って商売の邪魔をしていることがバレてしまった。町の人達は怒って「お奉行様」にこれを申し出たのだけど、なんとお奉行様は悪代官と同一人物で、結局「お裁き」は悪代官の都合のいいように、「無罪放免」ということになってしまうような場合である。これも鬼に金棒である。


では最後、立法権司法権が同じ人に帰属している場合であるが、このときには、司法権のある人が自分に都合のいいように勝手に法律を変えてしまうかもしれない。

具体的には、もとい悪代官であるお奉行様が、ある「おしらす(裁判)」を受け持つことになったときのことである。このおしらすは、「町娘は代官に嫁がなければならい法」に関するものだった。
というのも、手練手管を使っていた悪代官であったのだけど、なかなか思うように行かず、実は、そのお気に入りの町娘が、今の「町娘は代官に嫁がなければならい法」だと、「自分が嫁がなければならないわけではない」と主張しだしたからだ。
なぜなら、この法律には、「町娘は代官に嫁がなければならない」と書いてあるだけで、その他のことは書いてなかったからである。事実上、町娘全員が代官に嫁ぐなどということは無理であるから、これは自分でなくてもいいはずだ、との主張であった。
さすがの悪代官も、これには閉口し、一日中、おしらすで審議をしたのだけど、決着はつかなかった。そこで、日を改めておしらすを開くこととなったのだ。
すると、なんということでしょう〜、悪代官は、「町娘は代官に嫁がなければならない法」の条文を、「呉服問屋のおキヌは代官に嫁がなければならない」と変えてしまったのだ。という場合である。これも鬼に金棒だ。


この一連の事件は、結局、「謎のちりめん問屋(のくせに、何故かくそ強い助さん格さんを従え、しかも葵の御紋を持っている)」によって、うまく解決されたのだった。


話はだいぶそれたけども、というように、司法権、行政権、立法権のどれか二つ以上が同じ人物に帰属すると、ろくなことは起こらない。だから、この三権は分立されているのだ。

そして、この三つの権利を持つそれぞれの人は、「憲法」を必ず守らなければならない。なぜなら、この憲法こそが謎のちりめん問屋にも例えるべき、なんでもうまく解決してしまうものということになっているからだ。

だから、謎のちりめん問屋が許さないと言えば、全ては許されないはずであり、謎のちりめん問屋の意向を、実際の問題に当てはめて判断するのが真のお奉行様というわけだ。


ところで、話を安保法案にもどすと、この安保法案では「日本が直接的な武力行使を受けなくても武力を行使できるようになる」ということだったと思う。

そこで、これを謎のちりめん問屋に確認してみると、謎のちりめん問屋は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と言っているのである。

普通のお奉行様ならば、「あ、お代官、あんたダメですよ」と言うはずなのだ。

だから、悪代官は、どうしてもそうしたいのなら「憲法を変えなければならない」と私は前々から主張している。

けれど、デモ団体にしろ野党にせよ、「戦争法案絶対反対」とわめき散らしているだ。具体例にすると、悪代官に対して、徒党を組んで「悪代官は絶対反対」と言っているようなもので、全然「謎のちりめん問屋」のことを当てにしていないし、このご老体をただのジジイだと思ってバカにしているようなものである。

これでは、解決するはずの問題が解決しないのも当然である。筋を通すならば、常に「謎のちりめん問屋」のご意見を伺わなければならないのだ。それなのに、どうして、その過程がこれほど少ないし、盛り上がらないのか?

確かに、今の制度では、法律が制定されてからでないと、司法権による判断はほぼできない。

ならば、今後どうなるのであろうかと考えた時、このように事を荒立てているのは、「憲法改正」への布石、通過儀礼だとすると、それならば色々と納得できなくもない。

とはいえ、もし仮に、このまま何事もなかったように時が過ぎていけば、悪代官がお奉行様だったということになる。そして、謎のちりめん問屋は、ただのジジイで終わってしまう。

先のことがどうなるか分からないけど、どうなるか見ものである。もし、謎のちりめん問屋が無視されれば、日本には、正義の味方がいないということになる。ただのジジイも、皆から慕われ大事にされるから、葵の御紋の見せ場を作れるのだ。

謎のちりめん問屋がただのジジイだったら、安保法案賛成派にとっても、安保法案反対派にとっても、とにかく誰にとっても面白くないことだと思うのだが、どうだろうか。安保法案賛成派の人もとくと考えていただきたい。