新自由主義とナショナリズムについて

 この二つの「主義」の相性が良いことに皆は気が付いていないのだろうか。

 アメリカの共和党もこれだし、日本の自民党や維新もこの組み合わせである。

 この二つの「主義」には、奥底で繋がる本質的類似性があるから、常にセット的な思想となるのである。今、インターネットで検索してみたけど、このことに気が付いている人は、少ないか若しくはいないみたいである。それとも余りにも当たり前すぎて常識なのか?

 新自由主義とは、私の知る限りだと、個人の主張をその徳義も悪徳も含めて極限まで尊重し、保護しようとする思想である。だから、資本を増殖したいと思う「資本家」のためには、自由に商売ができるよう金融緩和もすべきだし、どんな少ない賃金でもいいから働きたいという人のためには、そういった条件を用意するため最低賃金を国家で保証しない。

 今は悪徳に関わる方を特に強調したのだけど、善い方もあるだろう。例えば、いついかなるとき、家に盗賊が押し寄せてくるか分からないから、銃などを家に置いておいても良い、とか、ホテルなど誰でもはいれるような所で一夜の安全を保証するために、部屋には鍵を付け、さらに貴重品はフロントに預ける、とか、個人の考えは自由だから、言いたくないことは言わなくていいし、言いたいことはネットを使って全世界に発信しても良い、ただし、この場合は、発信内容に伴った批判など、そういった自己責任は果たさなければならないといったようなものだ。

 要はそういった個人の財産(所有権・知的所有権・自由・権利全て)を保護しようとする主義が新自由主義なのである。

 ところでナショナリズムとは何か。まず、ナショナリズムの語源であるネイション(nation)とは、国民、民族、国家という日本語なら三重の意味が宿った英語である。だから、日本語には、この言葉を適当に表現できる言葉がないことになる。

 これは、日本特有の立地条件がそうさせているのだろうと思う。日本は島国で、立国当初から現在に至るまで、天皇を頂きに据えた一民族統治国家が築かれている。確かに、アイヌ琉球といった他民族があり、現在では日本人と言うことになっているけれど、彼らは少数民族で日本人の大勢にほとんど影響を与えていない。

 これに対して、ヨーロッパなどは、言葉も違うし身体的特徴まで違う「大民族」が同じ陸続きで存在しており、さらに、この民族間での支配し支配されという関係があるわけである。ここでは当然のように、同じ言語を用いる民族同士が強固に結ばれる傾向にある。そうして、こういった環境の中で、他の民族や国家や国民を常に意識しながら出来上がった言葉が「national」なのである。イギリスは島国で日本と立地条件が近いではないか、と反駁される方もあるかもしれないが、このことについてはヨーロッパの歴史と日本の歴史を少し勉強してもらえば、反駁しようとしたことを恥ずかしく思っていただけるものと思う。

 今述べたことから少し伺えるように、ナショナリズムとは、ある意味での「分割化」なのである。同じ陸続きで住んでいる人間を、言語や身体的特徴によって「分割化」しようとする思想がナショナリズムなのである。そうして、分割されたnationが、そのnationの「所有権(権利)」を主張し保護すること、これがナショナリズムの本質なのである。

 そこで、もう一度新自由主義について思いだしていただきたい。新自由主義とは、個人(individual:これ以上「分割」できないもの)の所有権(権利)を保護しようとするものであった。

 この「分割されたものの権利を主張し保護する」という観点こそが、新自由主義ナショナリズムの本質であり、この同調する本質において、この二つの思想は非常に相性がいいのである。新自由主義を好む人は、必ずと言っていいほど、ナショナリズムを好むであろう。だから、そういった好みを持つ人が集まると、そういった集団や党ができるのであり、これはとてもごく自然なことなのである。

 そして、この考え方が適度に保たれなかった時代こそ、帝国主義(imperialism)の時代であった。もしも、世の中がそちらの方向に動くなら、こういった思想がまた復活してしまう可能性も否めない。もちろん人類はまったく愚かな者ではないから、同じ轍は踏まないかもしれないけど、この本質を知らないでそちらを選択するなら、そういった方向にどんどんと世の中が進む可能性は十分にあるわけである。また、そいうった選択をしていくということは、一度犯した過ちの原因を突き止めていない何よりの証拠であり、また、その過ち自体を過ちと思っていない人類の大いなる思いあがりの現れであるとも言えよう。

 ちなみに、私はこの「本質」について、帝国主義時代の歴史を学んでいる時に気が付いた。これには、ダーウィンの進化論も深く関係している気がするのだけど、まだ進化論はしっかりと理解していないので、それはなんとも言えない。一つ言うなら、「生きるための弱肉強食」「自然淘汰」という観点、つまり、individualが肯定されていくという本質において関係が深いのかもしれない。