61.学問のすすめ 現代語訳 十五編 第一・二段落

第十五編

物事を疑って取捨を判断すること

第一段落

 信の世界には偽詐が多く、疑の世界には真理が多い。

 試しに考えてみよ、世間の愚民は、人の言葉を信じて、人の本に書いてあることを信じて、小説を信じて、噂話を信じて、神仏を信じて、占いを信じて、父母が大病にかかると按摩の説を信じて草根木皮を使い、娘の良縁には占い師の指図を信じて良夫を失い、熱病のときに医者に診てもらわずに念仏を申すのは阿弥陀仏を信じているためであり、三七日の断食をして命を落としてしまうのは不動明王を信じているためである。

 こういった人民の仲間に行われる真理の多寡を問うと、とてもではないけれどその中に真理が多いとは言えない。真理が少ないのなら偽詐は多くなってしまうより仕方ない。もっとも、こういった人民は事物を信じてはいるのだけど、その信とは嘘や偽りを信じているのでしかない。だから言うのだ。信の世界には偽欺が多いと。

第二段落

 文明の進歩は、天地の間にある有形の物についても無形の人事であっても、その働きの趣を詳しく調べて真実を発明することにある。西洋諸国の人民が今日の文明に達したその原因を考えてみると、疑の一点から出たものばかりである。

 ガリレヲ(ガリレオ・ガリレイ)が従来の天動説を疑って地動説が発明され、ガルハニ(ルイージ・ガルヴァーニ)がカエルの足が動くことを疑って動物のエレキを発明し、ニウトン(アイザック・ニュートン)がリンゴが落ちるのを見て重力の理に疑いを起こし、ワット(ジェームズ・ワット)がやかんの湯気をもてあそんで蒸気の働きに疑いを生じたように、どれも皆、疑いの道によることで真理の奥に達したというべきである。

 自然科学の分野から離れて、人事進歩の有様を見ても、また同じようなことが言える。売奴法の是非を疑って天下後世にまき散らす毒の源を絶ったのは、トーマス・クラレクソン(アメリカ第三代大統領のトーマス・ジェファーソンと思われる)である。ローマ宗教(カトリック)の教えを疑って教法の面目を改めたのはマルチン・ルーザ(マルティン・ルター)である。フランスの人民は貴族の跋扈に疑いを持ってフランス革命を始め、アメリカの州民は英国の法律に疑いをかけて独立の功を成すことができた。

 今日でも、西洋の諸対価が日新の説を唱えて人を文明に導いているのを見ると、その目的はただ古人が確定した覆せないような理論を覆し、世の中で普通なら疑わないような習慣になっているようなことを敢えて疑うことにある。

 今の人事では、男子が外に務めに出て、婦人が家を治めるのもほとんど自然なことであるようであるけれども、スチュアト・ミル(ジョン・スチュアート・ミル)は婦人論を著して、万古一定で動かすこともできないようなこの習慣を破ろうと試みた。

 英国の経済家は自由法を重んじる者が多くて、このことを信じている輩はこれをあたかも世界普遍の常識だと思っているのだけれども、アメリカの学者は保護法を唱えて自国一種の経済論を主張する者もいる。

 一つの議題が出ると他の一説が出てきて最初の議題を覆し、異説や総論はその究める所を知ることができないほどである。

 そうであるのに、かのアジア州の仁人は、虚誕妄説を簡単に信じて巫女神仏に迷いおぼれ、またはいわゆる聖賢の人の言葉を聞いて一時これに和するばかりでなく、万世の後になってもまだその言葉の範囲を脱することができないことに比べるならば、その品行の優劣、心志の勇怯、これらについて同じ土俵で相撲を取ることすらできない。

 異説や総論が起きた時に、事物の真理を求めるのは、逆風に向かって船を動かしていくようなことである。その航路を右にしたり左にしたり、波に打たれて風に逆らい、数十百里の海を旅したとしても、その前進できた距離を測ってみれば、わずかに三里か五里に過ぎない。航海には、しばしば順風もあるのだけど、人事においてこういったものはない。人事が進歩して真理に達するための道は、ただ異説争論の荒波にもまれること以外にない。そうして、その理論が出てくる源はというと、これは疑の一点にあるのである。疑の世界に真理多しとは、まったくこのことを言っているのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536


感想及び考察

■現在は、科学信仰とか、経済信仰とか言うものが流行っているのではないか。科学で無ければ信じるに足らず、経済で無ければ動機とならない。みなそう思って生きているのではないか。そいうった意味では、この福沢の時とは、全く逆の方向に世の中は動いていくべきであろう。科学とは真理のうちの一部でしかなく、経済は生きるための手段でしかない。この一部と手段を取り違えて、全てとしてしまうなら、それはなんと下らない生き方だろう。そして、なんと薄っぺらい文明だろう。一度だけでもいいから、聖書や、原始仏典、論語などを手にとって読んでいただきたいものである。そこには、科学を越えた真理があり、経済を越えた生き方がある。

■外国人の名前は、wikiで調べられるように括弧内に併記しておいた。原文を残しているのは、このイマイチわからないカタカナが面白いというただそれだけの理由である。え、なんでそんな風に書いたの?とか思ってもらいたい。だが、福沢は、確か英語の辞書を最初に作った人なので、相当の先駆者であったことは間違いないと思うが。これは今調べたら違っていた。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E5%92%8C%E8%BE%9E%E5%85%B8