52.学問のすすめ 現代語訳 十二編 第十二・十三段落

第十二段落

 たとえばインドの国体は、古くないとはいえない、その文明が起こったのは、紀元前数千年前であって、理論が精密で玄妙であることは、恐らく今の西洋諸国の理学に比べても恥じる所がないものが多くある。

 また、トルコの政府も昔から威勢と権力が強盛で、礼楽征伐の法も整っていないものはなく、王も長も皆賢明で、臣下も方正でないものはなく、人口が多いことと兵士が武勇であることは近隣の国に比類なく、一時はその名誉を四方に輝かしたこともあった。だから、インドとトルコを評価すると、インドは有名な文国で、トルコは武勇の大国としか言わざるを得ない。

 しかし、最近になってこの二大国の有様を見てみると、インドは既に英国の植民地となってしまっていて、そこに住んでいる人もほとんど英政府の奴隷でしかなく、今のインド人の仕事と言えば、ただアヘンを作ってシナ人を毒殺して、英商に儲けを得させているくらいである。

 トルコ政府は、名目上は独立しているものの、商売の権利は英仏の人に取られてしまっていて、自由貿易の功徳で国の物産は日に日に減るばかり、機織りする人もなく機械を作る人もなく、額に汗して土地を耕すか、または袖に手を突っ込んでいたずらに日を過ごすくらいで、全ての製作品は英仏の輸入に頼り、また、国の経済も治めるほどのものでなくて、さすがに武勇の兵士も貧乏に制せられて何の役にも立たない。

第十三段落

 このようにインドの文もトルコの武も、全く文明に利益するところが無いのはどうしてか。

 人民の所見はわずかに一国内に止まって、自国の有様に満足して、その有様の一部分だけを他国と比較し、この一部分だけを見て優劣がないことに安心して、議論することもなく、徒党を組むこともなく、勝敗栄辱共に他の有様も含めた全体でのものであることを忘れて、万民太平をうたうか、兄弟同士で自分の家の垣根の高さを争っている間に、商売の力に圧倒されてこの二大国は国を失ってしまったのである。

 洋商の向かうところアジアに敵なし。恐れなければならない。もしこの強力な敵を恐れ、さらに併せてその国の文明を慕うのであるならば、よく内外の有様を比較して勉めるようにしなければならない。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20121007/1349584536


感想及び考察

■この国家間の争いに関して、最近ではどうなのだろう。ノーベル賞GDPの多寡・オリンピック・ワールドカップ、この辺りが私の思いつくところである。確かにこの辺りのことはとても分かりやすい。逆に言うと、これ以外の部分で国家間の優劣を考えることは難しい。例えば、私が知っているのは、原子力に関する日本の技術はフランスと並んでトップクラスということか。そもそも、この資本主義社会では、儲けているやつが全てにおいて強い。そういった意味で、ほとんどGDPだけで、その国の強さが分かってしまう。戦争放棄をうたっている日本の自衛隊は、実は世界でも第五位くらいの相当強力な軍隊だと聞いたことがある。多分事実そうだと思う。日本の自衛隊は相当すごい装備を持っていて、相当統制のとれた、相当に強い軍隊だと思う。なぜそう思うのかというと、それはGDPが示している数字を指標にそれが分かる。だから、もしも、日本の憲法に平和厳守の条項がなく、兵士も徴兵制であるならば、世界第三位の強さになれることは間違いないように思う。一位はアメリカ、二位ロシア、三位日本、いや、普通になれると思う、もう少し時間がたてばロシアさえ追い越せるだろう。▼そもそも、GDPのある先進国には「科学技術」がある。そして、その「科学技術」が生み出す生活基盤支援力はすさまじい。耕運機一台で、人力の数百倍〜数千倍の仕事ができる。その早い仕事は、生活のゆとりを生みだし、この生活のゆとりがさらに新しい「科学技術」を生み出す。こうして、連鎖的にどんどんと「科学技術」は発展してきたのである。だが、それもそろそろ頭打ちに来るというのが、私の持論で、「科学技術」に代わる新しい目標をわれわれは掲げなければならないと思うのである。

■インドの哲学の話が出たが、今、講談社学術文庫「竜樹」を読んでいる。そこには、プラトンが稚拙に思えるほど、ヘーゲルが精密さに欠くように思えるほど、それほどにレベルの高い哲学が展開されている。今は例えでプラトンをけなしたが、後の西洋哲学は全てプラトンの注釈に過ぎない。という意見もあるらしい。確かにプラトンを読んでいると、「あれ、これあの啓蒙書に書かれていたこととまんま同じじゃないか」となるところがある。こういった意味で、哲学の普遍性みたいなものをいつも感じる。どういうことかと言うと、「哲学は進歩しているけど進歩していない」ということである。確かに、現代になって哲学の種類は増えているけど、大筋は例えば「論語」一冊に詰まっているに過ぎなくて、「論語」だけ完璧にマスターすれば、その他の派生的哲学はほとんど簡単に理解できるというようなことだ。別の言い方をすると、たとえば、現代にソクラテスが蘇って、一日だけしゃべり続けたとしても、どの哲学者をも唸らすような斬新なことばかりしゃべるだろうということだ。だから、「哲学は人類が言葉を所持した時、既に完成されていた」というようなことである。