賢さについて 例えば経済とは何か

 やっと最近、賢いということがどういうことか分かり始めた。(このセリフは何度も出しているかもしれないが)

 まず、賢い人は、答えや定義が曖昧でない。何事も明晰にしっかりと理解している。

 別に議論がうまかったり、技巧に秀でていることが賢いことではない。

 例えば、政治とは何か、とか、経済とは何か、という質問に対して、賢い人は簡潔に答えることができる。ここでその例を私のできる範囲でやってみようと思う。

ある人が、こう質問したとする「経済って一体なんなの?」それに対して、

1.普通の人の答え
「経済は経済や、ニュースとかテレビでやっとるやねーか、学校で習ったやろ」
→これに関しては、質問を質問で返すようなことである。

2.自分のことを賢いと思っている人、または、自分のことを賢いと見せかけたい人の答え
「経済とは、例えば、アダムスミスの国富論を典拠にする古典派とか、ケインズに代表されるような新古典派などのことだ。 ーーーー長いので省略ーーーー 今、オバマ大統領とロムニー候補がアメリカ大統領の座を競っているけど、オバマ氏は中間層を厚くする経済を、そして、ロムニー氏は新自由主義という完全競争社会を目指している。」
→これに関しては、経済の一部分についてしか答えていないのみならず、質問を別の問題に置き換えて敢えて複雑な問題のようにみせかけているに過ぎない。

3.少し賢い人の答え
「私は、経済というものがどんなものなのか、良く分かっていない。経済について勉強し尽くして、それを把握することができるようになれば、私はその質問に対して答えることができるかもしれない。だけど、今現在の私では的確に答えることができない。」
→質問の内容と、経済というものの難しさを的確に理解した上で、そのことをしっかりと伝えている。答えにはなっていないが、応えとしては決して間違っていない。

4.賢い人の答え
「経済とは、まず、人間のため、人間社会のためにあるものではないか。そして、それは、人間が自分達の生存と便益を達するために作り出したという側面と、また、人間が生存の安全と便益の達成を求めているうちに自然にできていたという側面を同時に併せ持っている。だから、経済というものは、本来、人間が、物質面において、生存の安全と便益の達成という目標を達するために形成した社会の一部分であり、また人間がそれらの目標を達成するためのものである。」
→かなり頑張ったけど、所詮私が答えれる範囲の答えなので、完全とはとても言い難いと思うが、それでも、まあ、他の答えに比べて、いかに明晰に経済を捉えて、また、質問自体にどれだけ簡潔に的確に答えているかわかっていただけると思う。私は、この答えを「書く」ことはできたが、会話の中で「答える」ことはできないと思う。恐らく、3.のようなことを言ってから、2.のようなことをしゃべりだすかも知れない。考える時間を与えてもらえれば、4.の答えをすることもできるかもしれない。

 それで、この簡潔な答えというのは、当然多くの疑問を残すわけで。というのも、大体、経済に疑問を持つ人は、その中の小問題に疑問をもっているからである。例えば、「悪い金もうけをしている人がいるのはなぜか」とか、「自分の生活は経済と言う観点から見た場合どうなのか」とか言うことである。そして、これらの問題に、賢い人はさらに的確に答えていくわけである。

 賢いということは、決して難しいことを知っていることではない。このように、質問に対して明確に答えることであり、その答えは、時として「当たり前」の「とても簡単なこと」であることさえある。だが、その答えを平然とすぐに言えることこそ賢いことであるのだ。

 ともすると、ほとんどの人は、2.のような答えをする人を賢い人と思うかもしれない。だが、それらの人は賢い人ではなくて、ただ単に「知っているだけの人」である。だからむしろ、「それは難しいから分からない」という答えの方が、質問にしっかり答えているわけであり、そういった人の方が賢いとも言える。