敬の問題か

MITの学生でも5割以上が誤答した算数の問題
http://nikkan-spa.jp/287005

 大岡越前三方一両損などの名裁きで知られる江戸時代のお奉行様)の話を思い出す。(少し前まではテレビの時代劇としてやっていた)

 当時の役人の算盤頭とかいう役目の人を選ぶとき、誰かが、当時のそろばんの名人にそれを任せようと言ったらしい。そしたら別の人が、「そいつはそろばんが得意なことは認めるけど、本当に役人のしかも頭(かしら)が務まるのか?」と言ったそうな。それで、そのことを大岡越前のところに相談に行ったそうな。

大岡越前「では、私の問題を解いてみよ、100を2で割るとどうなる?」

そろばんの名人「お待ちください」と言って、仰々しくそろばんをふろしきの中から出して言う。「100ありまして」彼は、そろばんをパチ!パチ!とはじいて、「これを2で割りますと」そろばんをまたはじいて「50でございます」

大岡越前「この者になら、役目を任しても大丈夫じゃ」

と言ったことがあったらしい。

 まあ、どんな簡単なことでもおろそかにしないことの例えばなしだ。計算の達人であればあるほど、暗算をしてしまう。だが、その暗算をする理由は、問題を簡単だと思ってそうしているのであって、これは問題を侮っていることに他ならない。これとは反対に、絶対に問題を間違えないように、確認を怠らないことを「敬」と言う。

 だが、めくらめっぽう、闇雲に全てのことを確認するのは、ただ時間を費やすだけで、無意味とか単なる無駄と言える。だから、事の大事さをわきまえて、確認を怠らないことが「敬」であるのだ。このそろばんの名人は、「御役目の是非」がかかっていたからこのようなことをしたのであるし、MITの学生は、お遊びに付き合うつもりだったから、問題を間違えたのだ。そして、大岡越前は、大事な場面に確認を怠らなかったことを評価して、彼に役目を任すように言ったのだ。

 もし、これが入試問題や入社問題だったら、MITの学生の8〜9割が問題に正解しただろう。