種の起源 第1章 飼育栽培のもとでの変異 3

種の起源要約 まとめ 目次

選択 -selection-

 飼育品種の差異は、突然にして、今見られるように完全に、そして、人間に有用な形に変化したとてはとても想像できない。実際に品種の歴史をたどってみるとそのことが分かる。自然は継続する変異を与え、人間はそれを自分に有用な方向に合算していく。この意味で、人間は自分に有用な品種を作り出していくのだと言える。

 選択のこの原理が大きな力を持つことは、品種改良家の実例に基づいても言えることである。

 だが、品種改良をするためには、少なからぬ才能と努力が必要である。つまり、飼育動物の品種改良では、経験を積まないと見つけられないほどの軽微な差異を、一定の方向に集積することで、やっと成果を出すことが求められるからだ。

 植物の場合、原則は同じにしろ、時に、しばしばもっと突然の変異が起こる。(一度に作られる子孫:たねが多いことが原因ではないか?)そして、園芸の場合、ある特定の目的が達せられると、逆に「ならずもの」は抜き捨てられる。最悪の動物の繁殖を許す者は、まずいない。

 特に、植物において、品種同志の部位を比較することで、この人間の選択の集積を知ることができる。例えば、キャベツ同志のいろいろな変種は、葉の形は違うが、花の形はほとんど似ている。桜同志のいろいろな変種は、花に関することに違いはあるが、葉や幹に関してはほとんど同じである。葉でも花でも果実でも、人間が注意を向ける方向に、常に最も大きい差異が現れているのである。

 古代人が、この選択の法則を知っていたのかどうかと疑われるかもしれないが、家畜の色について注意を払っていたという記録は数多くある。時には法律として、優れたものだけ飼育することが定めらたときもあるのである。

 また、この飼育動物に対する人間の選択は、何も、全てが方法論的に作為的に行われたというわけではない。なぜならば、人間が飼育しようとする動物は、常に人間にとって都合がいいからである。こののようにして、無意識的かつ緩徐に、そして、非常に効果的に飼育動物は品種が改良されてきているのである。

 ウマ、ウシ、ハトなどの成長の速度や大きさが、いかに人間にとって都合の良いものになっているか、ということは記録からもすぐに分かる。

 また、同じ品種の羊を、50年以上純粋に育てていた2氏の羊は、違う品種かと思われるほどにその特徴が違っている。このことは、飼育者の希望や予期にない、無意識的な選択があることを如実に語っている。

 野蛮人の家畜においてでも、この無意識の選択が為されていることは、実証に易いし、想像にも易い。例えば、人間に従順で力のある牛は、当然に家畜として重宝されるし、生き残る確率が高いからである。

 植物においては、野生の原種と現在の品種とを比較することで、そのことが分かる。ナシの原種はすっぱくてとても食べられたものではなかったらしいが、おいしい果実を生む苗木が珍重され、またその中でもおいしい果実を生む苗木が選択されて現在に至っているのだ。これは人間が無意識的にしている選択の当然の結果である。

 オーストラリアや、アフリカなどの人類未開の地に、人間に有用で育成に値する野生植物がないのは、何か特別な事情があるのではなくて、人間によって、人間のために有用な選択が為されていなかっただけの話なのである。

 未開人が飼育している家畜の変種は、文明人が飼育しているものより変種の数が多いという事実は、自然条件の違いや、家畜が必ず食物になるという意味での選択の機会の増加が影響していると考えられる。

 人間の選択が変異に大きな影響を及ぼしたというこの理論からすれば、家畜の品種は、その内部構造においてほとんど同質であるのに、外的形質において差異が著しいという事実をすんなり説明することができる。

 また、飼育家によって、大きな差異が認められることが、この選択において重要であると考えるべきではない。例えば、尾羽の長いハトは、最初、わずかに尾羽の長いハトが育種家にとって自分だけのものとして珍重されたに過ぎず、世代を重ねるうちに、偶然に予期せぬこととして、現在の形が結果としてもたらされたと考えるべきである。

 この理論は、今まで明らかにされていなかった諸品種の起源や歴史を明らかにするものであると思う。つまり、軽微な差異の認められたその個体は、珍重され、その子孫を増やし、移動手段の未開な半文明社会において、ゆっくりと、その地域のみで、その特質を集積させたのだ。そして、その特質の集積が顕著になって他と比べられ、その地域の名前がその品種に与えられたのだ。(ここでは、ダーウィンの想像力と、情報をパラメータ的に組み合わせて考える力が特に読み取れる)

 この選択が有利に行われる条件は、母集団の多さである。例えば、10匹の中から変異の著しいものを選ぶのは困難であるが、1000匹の中から変異の著しいものを選抜することは当然のようにたやすいし、その選択は、時間的にもはるかに効率的に行われる。

 交雑を管理できるかどうかということも、この選択が有利に行われるための条件である。例えば、一度つがいにすると一生つがいを変えないハトは、他のつがいと同じハト小屋で飼育しても交雑の心配が無い。この管理のしやすさがハトの他品種を生んだ要因である。逆に、ネコは、女や子供に非常に愛好されているにも関わらず、確固とした品種は非常に少ない。これは、ネコが夜行性で、繁殖を管理しにくい動物である点にその要因がある。

 飼育栽培品種における変異が、生活条件の変化によって影響を受けていることは間違いないであろう。変異性は、あらゆる条件下であらゆる生物に自然に備わった必然的事象でなくて、今は知られていない多くの遺伝の法則、殊に成長の相関の法則によって支配されているに過ぎず、その結果は無限に複雑なものであろう。また、起源の違った品種間における交雑が、変異に影響を与えていることは間違いないことである。しかし、変異性に最も大きな要因をもたらすのは、この無意識的で緩徐であるが、非常に効果的に行われる「選択」の集積作用である。

(つまり、「変化」より、「選択」の集積作用の方が、進化を決定する要因である。人は、どうしても大きな相違に目を向けがちである。だが、進化を決定しているのは、「変化」よりも軽微な変異の「選択」であるのだ。このことを言いたいために、つまり、読者の目を「変化」から「選択」に集中させるために、この「飼育栽培のもとでの変異」が、第1章として置かれていたようである。)