わかりやすい論語12 論語の無知の知

はじめに
 「無知の知」という言葉は、ソクラテスの言葉として有名です。学校でも習うのでみなさん御存じだと思います。この「無知の知」について、論語の中にも似たような記述があります。今回は、「無知の知」という言葉が本当は何を意味しているのかを紹介します。


子曰く、由、汝に之を知るを誨(おし)えんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずとせよ。是れ知るなり。

(為政第二より)


現代語訳
由(孔子の弟子のひとりである子路の名前)、お前に「これを知る」ということを教えよう。知っていることを知っていることとして、知らないことは知らないこととしなさい。これが知るということだ。

豆知識
 昔の中国の名前の構成は、名字・名前の他に、字(あざな)というものでした。例えば、孔子だと、子は先生という意味なので、本名は、孔丘・仲尼(ちゅうじ)でした。名字が孔、で名前が丘、字が仲尼です。


解説
 子路(由)は、孔子の弟子の中でも大変気の強い人でした。孔子との出会いは、なんと、子路孔子を切りつけようとしたことだったそうです。そんな気の強い子路は、知らないことでも知っていると意地を張ったり、10まで勉強しないとわからないことを5までしか勉強せず、それで分かった気になることも多かったのでしょう。それを見兼ねた孔子がこのように子路を教えたのです。

 ですが、これは気の強い人に限った事ではありません。私たちも普段、知った気になっていて実は知らなかったということが数多くあります。例えば、砂糖と食用油は誰でも知っているものです。もし今、「あなたは砂糖と食用油を知っているか」と尋ねられたら、ほんとんどの人が「知っている」と答えると思います。ですが、砂糖と食用油が、実は、炭素・水素・酸素という同じ原子だけからできていて、原子の分子的結合だけが違うということはみなさん知らないと思います。私たちは、砂糖や食用油を何であるか、知っているつもりですが、砂糖や食用油を化学的には知らなかったわけです。

 このように、知ると言うことは、どこまでを知っていて、どこまでを知らないのか知ることであるのです。砂糖と油の例えだと、それが食用や実用として何か知っているが、化学的に何か知らなかったということになります。ただ、このような正しい「知」に近付くためには、一番はじめに大事な条件があります。それは、自分が知らないことを多く持つ「“無知”な人間だと“知る”」ことです。まず「自分は無知な人間である」という自覚がないと、知らないことを知らないとすることはできません。自分が無知な人間であると知ることが、「無知の知」の本当の意味であり、全ての知の始まりなのです。当たり前ですが、世の中には知らないことの方が圧倒的に多いのです。

ソクラテスの話
 「ソクラテスがこの世で一番知恵がある」という神託を受けたソクラテスは、「自分にそんな知恵があるとは思えない」と、当時知恵があると言われた人のところにいろいろと質問をしに行ったそうです。そのようなことをして、ソクラテスが知ったことは、「私は私自身を知らないことの方が多い人間だと知っていたが、建築士は建築のこと、弁論士は弁論のことしか知らないのに、あたかも何でも知っているかのように思っていた。」ということだったそうです。興味のある方は是非、講談社学術文庫ソクラテスの弁明・クリトン」を読んでみてください。


おまけ 英訳
What you know should be what you know.
And,what you don't know should be what you don't know.
This is to know.


分かりやすい論語まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20120207/1328611563