55.荀子 現代語訳 儒効第八 四章

四章

 そもそも事業や行為というものは、理(ことわり)と治に利益が生ずるときにはこれを立てて、理と治に利益が生じないときにはこれを廃止する。このことを中事という。(●凡そ事行は、理に益ある者はこれを立て、理に益なき者はこれを廃す、夫れ是れを中事と謂う)

 そもそも知説というものは、理と治に利益があるのならこれを為して、理と治に利益が生じないのならこれを捨てる。このことを中説という。(●凡そ知説は、理に益ある者はこれを為し理に益なき者はこれを舎つ、夫れ是れを中説と謂う)

 事業や行為において中を失ってしまっているものを姦事(悪事)と言い、知説において中を失ってしまっているものを姦道(悪の道)と言う。姦事と姦道とは、治世から見放されるものであって、乱世が従い服すものである。

 もしも、満ちていることと虚しいことを屁理屈で混同して、満ちているものを虚しいとしたり虚しいことを満ちているとしたり、堅くて白い石は堅いことと白いことで分かれているなどという詭弁をするならば、いかに聡い耳でも聴くことのできないことであり、どんな明らかな目でも見ることのできないことであり、どんな雄弁の士でも語ることのできないことなのである。たとえ聖人の知があったとしても、簡単にその理論の欠点を指摘することができない。

 そもそも、こういった詭弁や屁理屈を知らなくても君子であることに害はないし、そういった詭弁や屁理屈ができたとしても小人であることに何の差支えもないのである。(●これを知らずとも君子たるに害なく、これを知るとも小人たるに損ずるなし)職人は、こういったことを知らないのにいい仕事をするし、君子はこういったことを知らないけれど物事をうまく治める。

 だが、仮に、王公がこういった詭弁や屁理屈を好むのならば、国の法を乱すこととなり、百姓がこういった詭弁や屁理屈を好むのならば、全ての事業が乱れてしまうこととなる。

 こうして、狂いと惑いに取りつかれた馬鹿者が、多くの人の前でこの詭弁と屁理屈を意気揚々と得意気に話し、また、聞いた人も納得してしまって、老人となって子供が大きくなるまでそれを信じ、この詭弁と屁理屈が悪いものであることに気が付かない。こういったことを上愚という。こういったことを語る人は、鶏や犬の品定めによって名を成す人にも及ばない。

 詩経 小雅・何人斯篇に「見えないお化けは 見えないけれど そこにいるのは人だから お顔もしっかりみえますね さあさこの詩を作りしは 見えるあなたをこらしめて 徳のないこと明らかに」とあるのは、こういった屁理屈や詭弁を展開する人のことを言っているのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■昨日、荀子の内容に関して、ご指摘をいただくことができました。大変ありがたいことと思い、昨日の記事に反映させていただきました。知識や智恵は独り占めすれば一人のものでしかありませんが、皆で共有すれば、皆のものです。善い知識や智恵を一人でも多くの人と共有すれば、それが世の中に与える善い影響は、積もり積もっていつしか測り知れないものとなるでしょう。何かお気づきの点があれば、遠慮なくコメントやメールなどしていただきたいと思います。

■上愚とは、自分の無智を賢いと思っていることのことであると思う。ソクラテスの「無知の知」とは、自分が無知な人間であることを知ることである。知らないことを知っていることではない。

■ここで詭弁と屁理屈の話が出たからには、現代の人にも軽く筆誅を加えないとならないだろう。自○党の安○氏は、最近アメリカに行って、盛んに「日本は戻ってきた。日米同盟は復活した」などと言っているらしい。確かに民○党随一の理想家である鳩○氏が、一時、日米同盟を破棄するような発言をしたのだけど、その後に総理になった民○党の総理の方々は明らかに方針を変えていて、日米同盟はそのころから強固なものに戻っていたはずである。まあ、鳩○氏が変なイメージを作ったことは確かなことだけど、その後の事実を無視して、イメージ先行の話し方をするならば、詭弁や屁理屈以外の何ものでもないであろう。「重責担って 口達者 イメージ先行 事実を忘る さあさこの詩を作りしは 見えるあなたをこらしめて 徳のないこと明らかに」