版権先進国 中国に学ぶ

この衝撃的なタイトルに驚いた方も多いだろう。

だが、私は、中国こそ、版権後進国から一気に版権先進国になったのだと思う。

版権と言うのは、著作権とか、コピーライトと言われるものであるけれど、特にメディア(情報)において、この版権の問題が、昨今問題となっている。その問題の発端は、インターネットであり、インターネットを使ったダウンロードこそが問題の行為である。

アメリカで、この版権に関する議論が起こり、ダウンロードサイトの成金が見せしめになったことは記憶に新しい。日本でも、ゲームの中古ソフトどうたら、とか、音楽ダウンロードどうたら、とか、けっこう話題になっている。

私がこんなことを考えたのは、ある会話があったからである。とある中国人が、エグザイルが好きだと言うので、「CDを借りに行くのか」と尋ねてみた。すると、何の悪びれた様子もなく「行かないよ。全部ダウンロードできる」と言った。一瞬、私は呆気にとられたのだけど、すぐに意味が分かった。つまり、彼ら中国人には、「版権」という概念がそもそも「ない」、むしろ「皆無」なのである。このことは、人真似王国中国のことだから簡単に想像が付く。

さらに、彼が説明したところによると、中国の歌手は、「呼ばれて歌うこと」でお金を儲けているそうだ。ここまで聞いて、「中国はなんて先進的なんだろう」と思った。

それは何故かというに、その方が時代に適合しているからである。

現在では、インターネットが発達したことによって、情報が氾濫している。それは、裏を返せば、情報を得ることが簡単になった。ということなのである。情報を得ることが簡単になれば、当然、少ないお金で情報を得ることができるようになる。そして、その動きは、水が高いところから低いところに流れるように、無料・フリー・ウムゾースト(ドイツ語)に近付いて行くのだ。この動きを止めることはできないだろう。なぜなら、大量の水が、あたかも滝を落ちるように、無料を求めて行くのだから。

だから、この水の動きに逆らうよりも、この水の流れに乗った方がなんでもうまくいくに決まっている。

こうして、中国は、版権後進国から、一気に版権先進国となった。

多くの方は、なんで中国が版権“先進国”なのか分からないかもしれない。だが、この説明を加えることで、どうして“先進国”なのか分かっていただけると思う。

例えば、AKBとか、あれこそまさに、とても先進的なやり方をしていると思う。というのも、AKBが売っているのは、歌ではなくて、人だからである。AKBが劇場での活動をするというのは、有名であるが、それ以上に注目すべきは、人数がいっぱい居ることである。AKBの歌自体は、CDでも売り上げがかなり上がるらしいけれど、これは本来の目的から少し外れたものである。なぜかというに、AKBの主力の売り上げは、間違いなく「関連商品」にあるからである。カードとかのグッズだの、モデルとしての活動費だの、タレントとしての活動費だの、パチンコだの。まあ、とにかく、AKBというグループと、AKBの歌う歌は、単なる宣伝のための“手段”でしかないのだ。だからこそ、メンバーがいっぱい居る。宣伝によって売れたAKBの中に、顧客のニーズに合う者があれば、本当の商品の方が売れる、という算段である。

つまり、歌やPVを無料ででも沢山流せば流すほど、儲けが出るという仕組みなのである。これは、実は日本のお家芸で、アニメのメディアミックスなどがこの典型である。

そして、中国に戻ってみよう。彼らには、そもそも、版権の概念が「皆無」であるから、真似されることなんて「合点承知の助」なのである。だから、儲けようと思うと、最初から「真似できないこと」例えばコンサートを売ろうとするのだ。これはAKBと全く同じで、真似したりダウンロードできたりする歌やなんかは最初から売る気が無くて、本当に売ろうとしているのは、そこにいる、この世にたった一人しかいない「タレント」なのである。商売のやり方の構造が全く同じだと言うことがわかっていただけると思う。

このように、今の時代では、「オンリーワン」にならないと、つまり、「専門特化」しないと、何も売れないのである。これが何故かというと、「情報が氾濫しているから」という言葉に尽きる。情報が氾濫していると言うことは、選ぶ範囲が広まるということであり、選ぶ範囲が広まるということは、競争相手が増えるということである。そして、競争相手が増えれば、当然のように、「実力」なり「オンリーワン」の力が必要となってくるのである。

一見、「選ぶ範囲が広まったこと」は、自分を不利に追い込むようであるけれど、実際は違う。「オンリーワン」の者にとっては、むしろ、宣伝する商機と、そこで勝ちあがる勝機が増えることなのである。

私も、「論語シリーズ」を読んだ友人から「真似されたらどうするの?」と言われたことがあるけど、そもそもそのときから、この理論を知っていてブログを始めたので、「ああ、真似されてもええんや」の一言で終わった。つまり、私自身として、あれは簡単に真似できない。という自負があるのである。それもあるけれど、そもそも、このブログの目的は、カテゴリー「未来」の項目を読んでいただくとわかると思うのだけど、「有志を集めるきっかけを作るため」のものなので、まさに、ここに示したような理論を最大限に生かしているつもりである。最近は、荀子シリーズになって、少し読者の方が減ってきているのだけど、「疑うなかれ、朋相集まらん」ということで、一応期待はしている。