ソークラテースの思い出を読んでいて4 奴隷制度について

 ソークラテースの思い出を読んでいると、やはりこの「奴隷」という言葉について考えざるを得なくなる。それはなぜなら、ソクラテスのような賢者が、「奴隷」を認めていたのか?ということは、真理を探究する者にとってはとても大きな課題であるからである。

 釈尊は、ほぼ同時代を生きていたが、奴隷制度や身分制度カースト制)を激しく非難し、人間は皆同じ人間であるから、そのような制度はあっていいはずが無い。と説いている。そして、人間は、行為において奴隷ともなるし、行為においてバラモン(恐らく徳行の完成した修行者のこと)ともなる。と言っている。

 それで、この奴隷制度が、人権の尊重にもとる制度であることが立証され、現代では、これが常識となっている。私は、当然、この奴隷制度は真理ではなかったとして了承しているし、世の中の人の多くがそのことに同意してくれることと思う。

 こういった前提において、ソクラテス奴隷制度について、どのような見識を持っていたのか?ということは、熟慮の価値があるのだ。というか、熟慮しなければならぬのだ。

 いきなり私の意見を述べるが、ソクラテスは、あくまで「国家の中で生きる人間」であった。そのことは、ソクラテスの死に方に最も良く現れていると言っても過言ではないと思う。つまり、ソクラテスは、その範囲:国家の中で生きる人間という意味において、奴隷制度を認めていた。と言うのが最も簡素にそのことを言い表した言葉のように思う。そういった意味で、ソクラテスの求めていた真理は、釈尊の求めていた「生き物・万物全てに共通の真理」ではなかったわけである。

 まず、当時の奴隷とは何だったのか。このことを明らかにしようと思う。

 「戦争で勝ち、相手の市民を奴隷に落とすこと、これは善だろうか」という質問をし、相手がこれを善だ、と言ったことを特に否定していない。このことから、奴隷とは、まず戦争で得られるものであると思われると言えよう。

 また、ソクラテス以外の人が「私は、雇われ人になって奴隷などになりたくない」と言っている場面もある。このとき、ソクラテスは、それは奴隷になるわけではないと否定している。また、ソクラテスは、「お金をもらってものを教えると言うことは、学問屋になるということであって、これは奴隷になることを意味している」などということが書かれている。このことから、現在のサラリーマンもすら、奴隷の範囲に入っていたのではないかと思われる。ただ、主人を変える権利が、あるのかないのか、という問題はあろう。

 次に、「人身売買は不正なことである」ともなっている。この言葉も、今までの定義を覆すような言葉ではある。しかし、半面で、「誰誰がいくらであの奴隷を買ったという話を聞いたことがあるだろう?」などともある。

 また、人が奴隷を折檻しているのを咎めて、「君とこの奴隷、本当はどっちが役に立つのだろうか」などと、自由人と奴隷を明らかに同列として扱っている部分もある。

 しかし、ソクラテスが奴隷と直接やりとりをするような場面は一つもない。

 これらのことから推測されることは、ソクラテスは、奴隷を人としては認識していたが、自由人(国家の人)ではないという風に認識していたのではないか、ということだ。そうすると、ソクラテスが野暮な人間でないことが立証された上で、国法を重んじていたという自身の言葉との整合性も取れるということになる。つまり、ソクラテスは、奴隷制度が正しいのかということを考えたことはあったかもしれないが、それ以上に、古から定められた国法に則ることの方に、重きを置いたわけである。これは、ソクラテスが、事実、国家の庇護を受けていることで、安全な生活を送っているということに感謝をしていたことの表れでもある。

 これは釈尊との生い立ちや立場の違いからも整合性が取れる。釈尊は、自身が王という誰の庇護をも受けない家柄に生まれ、さらに、一人で危険のうちに修業し、一切の保護を受けていないかったから、国法などに縛られる「義理」が無かったわけで、そこで初めて、「全ては平等だ」と言うことができたわけだ。だからもしも、ソクラテスが、釈尊の生い立ちであったらば、釈尊と全く同じ見解を保持した可能性もあると思われるのだ。

 また、奴隷制度があったことが、「チップ」の起源であることも分かった。というのも、奴隷制度とは、人に値段を付けることであるからだ。友だちに値段を付けるような例えばなしをソクラテスがする場面もある。こうして考えてみるに、ギリシアを起源とする文化には、「人に値段をつける」という概念が少なからずあるわけである。