ロシア史を勉強して〜私にとっての新たな歴史観〜

 2冊のロシア史の本を参考にして、随時、自分の考えをまとめたものです。

 ロシア史を勉強していて、普通に歴史を知ることが面白いと思った。なんでこんな面白いことにもっと早く気付かなかったんだろう。とか思った。まあ、この前読んだ「近代ヨーロッパ史」で歴史の面白さに気付いたのかもしれないけど。

 あと、もうひとつ思ったのは、私は、今まで、世界史、日本史というのは勉強したことあるけど、他国史というのは勉強をしたことが無かったんだということだ。私の性として、何でも大きな枠組みで捉えたがる。だから、世界史は勉強しても、日本史や他国史は敢えて勉強しない。だから、義務教育で必須だった日本史以外の一国主観史というのは勉強したことが無い。そんな感じで、今回ロシア史を勉強していて、なんかとても新鮮に、そして面白く感じたのだ。

 そういった意味での、いろいろな発見もあった。その代表的なことは「日本史との比較」という観点だ。これは世界史という枠組みではできない観点である。一国主観史を複数勉強して初めてできる観点なのだ。もうひとつは、国と言う独立性というか、国はやはり国として因縁(カルマ、業)のようなものがあるのだなということか。一個人に因果の法則が当てはまるように、一国、一民族にも因果の法則がやはり当てはまるのだろうとか、土地柄や民族性みたいなものがあるのだなというようなことだ。

 内容としては、今、1850年くらいまで来た。ロシアの歴史は短くて、歴史があるのは紀元1000年くらいから、だから日本と比べてもかなり歴史の少ない国と言える。今まで読んだところで、ロシア史の特異点は、①スターリンに代表されるような恐怖政治、秘密警察制がほんとに昔からあった②農奴制やイヴァン雷帝のオプリーチナ制に代表されるような中央集権的、抑圧的政治体制が昔からあった、というようなことだ。それで、言うまでも無いけど、ソヴィエトのような社会主義国家が樹立されたのは歴史の必然だったのだなということだ。あと、③復活思想というちょっと日本では考えられないような思想があること。これは、殺されたはずの帝位継承者が実は生きていて、その人がいつか表の世界に現れて治世を体現する。というような思想なのだけど、歴史の要所要所でこれが出ていてなかなか面白い。偽ドミトリーに至っては二人も出現したり、とにかく反乱軍の総帥は、死んだはずの帝位継承者に祭り上げられたり、そう名のったりなのでなる。

 簡単にロシア史をまとめると、1500年くらいまでロシアの辺りはモンゴル系の国家の属国もしくは保護国であったということ。その後もいろいろと内乱とかがあって、それなりの強国になっていくのだけど、基本的に政治体制はいまいち、というかほとんど安定していなかったのだということ。しかも、政治体制が安定していなかったのに対外的には戦争をずーっとしていて、その戦争にもそれなりに勝利を収めていたということ。サンクトペテルブルクを建設したことで有名なピョードル大帝の時にやっと政治がある程度安定したということ。しかもその後は女帝の時代が続いたということ。

 日本史と比較した部分としては、①ロシアでも1600年くらいに戦国期があったということだ。これは飢饉を機にして起こったのだけど、日本の戦国期と少し時代がかぶっていて面白いなと思った。②日本ほど安定した政治・統治体制の歴史を持つ国はなかなかないのだろうなということ。③日本史と比較すると、ほんとに宮中での権力争いが熾烈であったということ。(日本の場合だと表立って無かっただけかもしれないが、それを考慮しても余りあるほどに、ロシアでは内輪もめ・兄弟殺しや親殺しが多い)

 あと、関係ないと言えば関係ないのだけど、ロシア文学と言うのは日本でもそこそこ有名なものがあるし(トルストイとか)そこそこ読まれていると思うんだけど、日本文学は世界で読まれているのか?ということだ。私は文学には疎いと言えば疎いのだけど、徒然草源氏物語とか言った日本の代表的歴史文学は世界で読まれているのだろうか。トルストイほどは読まれてない気がする。というのも、まず日本語というのは、恐らくだけど世界で一番難しい。その難しい言語を用いて、わびさびとか、諸行無常とかの独特の文化を表現しているのだから、それだけでも日本人以外には理解できない。さらにその上、日本の最高峰の文学(俳句とか)は、かけ言葉や言葉遊びという、日本語でしか通用しない美しさや技巧、ユーモアがちりばめられているのに加えて、さらに仮名文化と言うような音感の美しさ、さらに蔵意という、まさにそれを理解している日本人からすると、最高峰としか言えない素晴らしさがあるのだ。だから、逆に言うと、日本文学が世界で大々的に認められないのは当たり前と言えば当たり前なのである。と思った。

 1850年くらいから、ソヴィエト連邦成立の1920年くらい

 概要を述べてしまうと、全く政治体制が安定していない。しかも、立憲君主制が施行されたのが1905年ごろと恐ろしく遅いことが特筆点と言えよう。あと、相変わらずほとんど常に戦争をしている。またしても、日本がいかに安定した政治体制を樹立しやすい国家なのかと思った。ちょっと日本論になってしまうが、これは、天皇制による統治という特異点一点に全てが象徴されていると思う。何故天皇制が…となると、島国であるとか、まあ、いろいろ出てくるのだけどそれはまた日本史を勉強し直してからにしようと思う。

 あと、ロシアの富の源泉は何だったのか?つまり、ソ連が少し前まで冷戦を行えるほどの強国だった理由は何か。ということが、今回ロシア史を勉強しようと思った発端だったんだけど、それが見えてきた。

 ロシアは、ソ連になる以前の段階では、ほとんど富を蓄積していない。あの広大な国土からなる資源を帳消しするほどの戦争量、あと、それ(資源)を有効に使えないだけの政治的不安定、それに加えて、ナポレオンが攻め入ったときに関しては、モスクワを敵軍ごと自ら焼き打つという信じられない作戦による富の消失など。(このことに関しては、被害を最小限に抑えたという考え方もできる、人民並びに富を逃がしておいて、建物だけを焼失させ、さらにその後のナポレオンによる富の吸い上げを防いだとも考えられる。だがそれ以上に、モスクワ魂を守ったというアイデンティティ保全というプラス面もある。)富として少し特筆すべき点としては、遠大な鉄道という富、ノーベル(石油)、ヒューズ(製鉄)、モロゾフ家(綿)など、若干のエネルギー消費施設としての富が挙げられる。第一次大戦頃には製鉄量も世界第四位になっていたようだ。

 だが、これらの富は、国家の安寧や、国家制度の誘導からもたらされたのでなくて、国が混乱している間に、みんなが勝手にやり出した。という感じだ。農奴制も国からの解放が何度も行われているにも関わらず、貴族の実行力的なもので結局ソ連成立の辺りまで続いている。ロシアがそこそこ戦争に勝っていたのは、単に人資源を含めた物量的に強かったと言うのが一番の理由だろう。だから、国家が強かったのでなくて、大きかったから強かったに過ぎないみたいだ。あと立地もある。西は列強だが、それ以外は基本的に辺境、南ではイスラム諸国に接してはいるものの、向こうから攻め入られることはあまりない。(寒さなどの気候的条件、砂漠を挟むと言う地理的条件からそのように推測される)

 こうして考えてみるに、結論として、ソ連が強かった理由は、やはり「社会主義体制の時代」に一番の要因があると言えそうだ。

 もうひとつ、特異点とも言えるもので、ロシアは上からの改革が多い。ということだ。民衆が決起蜂起したのは大概失敗に終わり、中央権力に鎮圧される。しかし、戦争に負けたり、それなりの賢帝や議会が現れることによって、その人民の不満を解消するような改革が行われている。だから、ロシアの民族性は農奴制に代表されるような、抑圧型、中央専制型(トップダウン式)と言えそうだ。

 それに加えて、日本からすると治世とは言えないが、それでも治世(政治的混乱が少ないとき)には、ツァーリが長く在籍している場合が多い。現在、プーチンやメドベーシェフのような比較的若い人が国民の信任を長く得ているのは、このような歴史に起因する国民性とも言えそうだ。

 日本としては残念なお知らせになるが、日露戦争の時、ロシア国内ではむしろロシアが負けてほしいみたいな機運が高まっていたみたいだ。まあ、日本からすればほんとに目に見えない神風が吹いていたということだろう。

 レーニンに興味が出た。あと、ラスプーチンはどっかで聞いたことあると思って調べてみたけど、雑学程度の知識しか得ることはできなかった。まあ、国が滅びる前に出る妖ゲキ(不吉な前兆)というやつだろう。

 ロシアが第一次大戦では、同盟国として勝ったような話になっているけど、実はドイツに領土を明け渡し、さらに、新政府(ソ連)は同盟国から攻めらた(日本のシベリア出兵)というのも初めて知った。戦争で勝ったはずが負けた、戦争し損みたいな感じだったんかな。

 ここからは、正確にはソ連史ということになる。

 思ったことは、やっぱりソ連が冷戦を戦うほどの大国となった理由は全てスターリンにある。ということだった。私が何者なのかという謎も、まあ、そこそこの謎であるけれど、それ以上にスターリンが何者だったのかということの方がさらに謎だ。私が現時点で知る限りの人間の枠組みを越えている。レーニンとかはまだ、著作を読めば人となりや思想も分かりそうなものだけど、スターリンに関しては、そこすらとっついていけない感じがする。

 この本によると、「ロシアは強くなければならない」という強烈な意志のもとにいろいろなことを行ったみたいだけど、何故そう思ったのか?ということを私は知りたいのである。レーニンとかの気持ちは分かる。真実を愛するが故に哲学をして、その真実への心が彼を押し動かしたのだろう。真実にはそれだけの力がある。しかし、スターリンとか(ヒトラーもか)の気持ちは分からない。何か恐ろしく強烈なトラウマでもあるのだろうか。しかし、それはかなり想像を絶するトラウマでもない限りそこまでの力はもちえないと思うのだ。挫けそうなとき、人間として挫折しそうなときには、必ず何か強い精神的力をよりどころとしなければならない。そのよりどころは、愛であるとか真実であるとかが一番強いと思う。これに次いでは、欲とかになる。それ以外で言うと、ナポレオンの気持ちなんかはなんとなくわかる。男なら一度は夢見るような気持ちだ。だがやはり、スターリンの気持ちは分からない。そう考えてみるに、結局、スターリンヒトラーというのは、精神に対して地位が分不相応な人物であったということかもしれない。彼らは時代の波にたまたま必要とされてその地位を得たのであるが、その地位は彼らの精神に比してあまりに分不相応だったのかもしれない。その分不相応なギャップが大量虐殺とか、そういったわけのわからない行動として現れたのかもしれない。例えば、未熟な母親が子供を虐待してしまうような、そんな現象なのかもしれない。

 と私の妄想はこれくらいにして、ソ連が強国となった礎はほぼスターリンにあることは間違いなさそうだ。そして、私が立てた、「急速な工業化は社会主義的、中央集権官僚的、専制的国家において実現し易い」という仮説がほぼ立証されたと言っても過言ではなかろう。しかし、もうひとつ特筆すべき点がある。それは「反動」だ。例えば、成長が急速である「竹」が、台風で根元からなぎ倒れてしまうように、乾いた干し草を燃料として燃え盛る火が、灰にならずに「すす」だけ残して一瞬のうちに燃え尽きてしまうように、タイの洪水の理由が乱開発による工業化であるように、そのように、急速に発展した工業と言うのは崩壊したり、役に立たないものを残すような「反動」も大きい。

 野口悠紀雄の経済本によると、崩壊直前のソ連は、収支としてマイナスの製造をしていた、そして、今の日本もそうである。ということである。「マイナスの製造」とはどういうことかと言うと、例えば、2000円分の原料を入手すると、それが工場を出た時1800円の商品にしかならないという意味だ。これが国家単位で起こる状況を「マイナスの製造:(経済学的には原価収益がマイナス収支になる、だったと思う)」というのだ。

 まだ、ロシア史には勉強することがありそうだし、もう一冊の方も少し経ってから読もうと思う。

 このもう一冊の方は良著でした。ロシア史に興味のある方は是非こちらを読んでください。

図説 ロシアの歴史 (ふくろうの本)(和書)
栗生沢猛夫
河出書房新社
2010年5月20日
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309761437/mixi02-22/

 ロシア史に関する本を、二冊借りたのは正解だった。歴史にはいろいろな見方があって、また、それは主観によって多少なりとも曲解または極解されることがわかったからだ。その解し方はもちろんいい意味においても、悪い意味においてもだ。この本の著者は、ロシア史を通じて、その自分の歴史哲学を伝えたいような感じがする。

 この本を読んでいて、興味深いなと思ったのは、1240年のころのノヴゴロド公、後のウラジミール公となる、アレクサンドル・ネフスキーという人物だ。彼は、西からの軍勢を全力で全て撃破し、その一方でモンゴル(タタール)勢力からの軍勢には完全服従したらしいのだ。ロシア正教会というある意味異質な民族性を考慮して、西からのカトリック勢力と宗教的には自由なモンゴル勢力を天秤かけ、後者を選択したという解釈があるらしい。しかし、孫子好きのエセ兵法家である私からすると、孫子の兵法の哲学を理解したうえで、そのような選択をしたのではないかと思われてならない。

 あと、もうひとつ気付いたことがある。ロシアはイヴァン雷帝の前まで分裂していたのだけど、ノヴゴロドという民主制の共和国があったらしい。しかし、それが専制君主制のモスクワ大公国によって滅ぼされ、ここにロシアがロシアという今の原型を留めるようになる。1450年ころのことなのだけど、民主制の国が敗れたということが私にとって興味深い。国家の強さというのは、(広さや資源的な物量差を除けば)政治体制の優劣で、その80%が決定されると思う。そういった意味で、民主制が負けたということは、国民のレベルが低いのならば、少数のレベルの高い者だけが政治に参加するような制度の方が政治的に強い。と言ったことが言えると思う。これは、第一時大戦くらいまで、完全に王位が廃止され、選挙制度が確立されたなかった理由の一つだと思う。教育の行き渡っていない民主制は、他と比べて少し優秀なだけの人の独裁政治にはるかに劣るのだ。

 そして、やっぱりロシアは秘密警察的なものが歴史的に根付いているということ。それに伴うような形で、反乱者に対する仕打ちが文字通り「非道い」ことが挙げられる。反乱が起こるたびに、数万人という見せしめが、帝位のクーデターが起こるたびに千人という見せしめが、犠牲になっている。この理由としては、自然条件が過酷であることや、多民族国家であることが挙げられるかもしれない。

 ロシアと大戦の関係はなかなか面白い。というのも、ロシア(ソ連)は、戦争に勝つ時、ほとんどと言っていほど、多大な犠牲を払っているのだ。なのにその犠牲を乗り越えるような形で復活し、成長する。これは一種のロシア魂と言えるかもしれない。

 上に出した、ネフスキー公も然り、自らモスクワを焼き放ったナポレオン防衛戦争も然り、連合としては勝ったが、対独戦として負けた第一次大戦も然り、勝利を収めたものの、3000万とも言われる犠牲者を出した第二次大戦も然り。このように、ロシアの戦争は犠牲が多い。なのに、ロシアはそのあと復活する。第二次大戦に関しては、スターリンの粛清で優秀な指揮官が死んでいたことが、大きな犠牲の出た要因のひとつとも言われているらしい。(実際そうだろう)

 ところで、私は、ストーリーや仮説を立てて、その本質論とも言える仮説をある一定の方向から結構無理やりにでも立証するような方法や考え方をする。ロシアに社会主義が定着したのは、それに対する歴史的基盤があったという考え方はその典型と言えよう。しかし、この著者の人は、そう言ったことに対して非常に慎重だ。簡単に結論を出さない。

 あともうひとつは、歴史をある一定の偏見だけから決して見ないという姿勢だ。例えば、スターリンは、5カ年計画を実施して社会主義国家に繁栄をもたらしめ、社会主義国家は何たるかを確立した、しかし、それに伴う形で大粛清があった。というような偏見がある。だから、敢えて先に、スターリン時代に穀物収穫高が激減したとか、その情報を隠蔽していたとか、検閲とは正反対の自由主義憲法を発布したとか、そういったイメージとは逆の事実を出している。そうやって、スターリンに対する一般的な見解を捨てさせておいてから、五カ年計画や大粛清について触れている。そうすることで、スターリンをある一定の方向からだけしか理解していない読者に訴えかけているのだ。

 最後に、この著者の歴史に対する慎重な姿勢が、私に「政治や政策の難しさ」というものを教えてくれた。政治や政策が正しかったのかどうか、ということは、それが全て過去のことになって、結果が分かっていたとしても評価するのは難しいのだ。それに、全体の政策のイメージとは矛盾するようなことも同時にしなければならない。例えば、自由主義を進める一方で、弾圧をしたり、社会主義を進める一方で、農民の解放を行ったりというようなことだ。レーニンも平和主義を唱えながら、ときとしてテロや暗殺や弾圧や戦争を支持し、またそれに参加している。そういった、「あや」としか表現できないことが、歴史には多く存在するということがよく分かった。

 そして、ロシア史を勉強して一番感じたことは、今の自分の生活に対する有り難さである。もし、私がそのときのロシアに生まれていたら、と考えると本当になんとも言えない気分になる。ロシア史を勉強して、いろいろなことが分かったけど、なんともスッとしない気分だ。例えば、ハッピーエンドで終わると思っていたドラマが、ぐちゃぐちゃのはっきりしない結末で終わるような、一話完結だと思っていた映画が、実は続編のあるもので結末のないまま終わるような、そんななんとも言えない気持ちになった。

 「安易に結末とストーリーを決めつけないこと」「何事も偏見を捨て去って、むしろ、今自分の持っているイメージとは逆の方向や考え方からアプローチしてみること」の重要性を学ぶことができた。それとともに、「善悪とは何なのか」という問いの重要性もまた認識することができた。