2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

34.荀子 現代語訳 非相第五 一章-後

徐の国の偃王は目が馬のようにつぶらであった。孔子は鬼がわらのような顔であった。周公は折れた枯れ木のようであった。舜の賢臣であったフ陶は顔色が引き裂いた瓜のようであった。周の文王の賢臣であったコウヨクは顔中毛だらけで皮膚が見えなかった。殷の…

33.荀子 現代語訳 非相第五 一章-前

非相第五 一章 人を見た目で判断することについて、昔の人はそれを重視することは無かったし、学者は自分の道とはしない。(●人を相うこと、古えの人は有りとすること無く学者は道わざるなり)昔は姑布子卿という人物がいたし、今の世では梁の国に唐挙という…

32.荀子 現代語訳 栄辱第四 十二章

十二章 位の高いこと天下の王となり、富を保つこと天下全てでありたいという思いは、人情として誰でも同じところである。しかしながら、欲をほしいままに行動をするのならば、その思いが実現されるようなことはなく、実際に欲しいものが手に入ることはない。…

31.荀子 現代語訳 栄辱第四 十一章

十一章 人の情というものは、食卓には牛肉豚肉があることを望み、着物は美しい刺繍や柄のあるものを望み、出かけるには高級車に乗ることを望み、使う必要のない財産や余分な富を持つことを望む。このような有様で、年老いて世を重ねても、それでも足ることを…

30.荀子 現代語訳 栄辱第四 九・十章

九章 仁義を旨とし徳行を心がけることは常に安心するための方法である。そうではあるけれども、必ずしも危うい時がないというわけではない。(●仁義徳行は常安の術なり。然れども必ずしも危うからずんばあらず) 汚れた心と慢心と行き当たりばったりと盗みは…

29.荀子 現代語訳 栄辱第四 八章

八章 才能や知能といったものは、君子と小人とで何ら変わることはない。それに、栄を好んで辱を嫌い、利を好んで害を嫌うことは、君子と小人とで同じところである。そうであるけれども、これらの栄や利を求めるやり方に関しては、異なったことがあるのである…