160.荀子 現代語訳 正名篇第二十二 二章-前

二章

 王者が名を制定すれば、名が定まり実際に弁論が行われ、道が行われて志が通じ、そのようにして慎重に民衆を率いて一つにする。

 こうすることができれば、言葉を分析して自分勝手に正名を乱し、民衆を疑惑させて人に弁論と言い争いを多くさせることが、大姦と言われるようになり、その罪は、例えば偽札を作ることやはかりの目をごまかすことと同じ罪となる。それ故に、民衆は、敢えてそういった姦事に身を託して奇辞を用いて正名を乱すようなことはしなくなる。

 こういったわけで、民衆は正直で実直となり、正直で実直ならば使いやすく、使いやすければ功績が上がる。功績が上がれば、民衆の生活は楽になるから、敢えてそういった姦事に身を託して奇辞を用いて正名を乱すこともなくなる。だから、法を道とすることに専一して、命令に従うことに謹むようになる。

 このようになれば、その足迹は長いものとなる。足迹が長くて功績が成就することは、治の極みであり、これこそが名の約束事を守ることに謹むことの功績というものである。

 そうであるのに、今や聖王は没して名の守りはゆるがせなものとなり、奇辞が起こって名実が乱れ、是非の形も明らかでなくなり、法を守る役人、経典を読む儒者であってさえも、皆乱れることとなってしまった。

 もし王者が起こることがあれば、必ず旧名に従うことがありながらも、新名を作るということになろう。このようになれば、名が何のためにあるのかということと、名は何によって異同しているのかということと、名を制定する枢要(肝心なこと)について、必ず詳察に考えることとなるだろう。

 今、もしも名が定まっていないとすると、本来の名前とは異なったもに、本来のそれとは別のものを心で思い浮かべ、その異なった名と実際とが結び合わさってしまい、貴賎も明らかにならず、異同が別れることもなくなってしまう。こうなれば、当然、「本当に伝わっているかどうか分からない」という患いがあることになり、事業は必ず困窮して失敗してしまうという禍が起きる。

 だから、知者は、このために分別をして、名を制定して実をはっきりして、上は貴賎を明らかにして、下を異同についてはっきりと弁ずる。貴賎が明らかとなり、異同がはっきりとする。このようになれば、「本当に伝わっているかどうか分からない」という患いはなくなり、事業も困窮して失敗するというような禍がなくなる。これが何のために名があるのかという理由である。



解説及び感想

■分かりにくいかもしれないが、実はあまり難しいことではない。例えば、時計のことを時間と言う人が居たとする。時計とは物体であり、時間をはかって皆で時間を共有するためのものである。そして、時間とは、抽象的なもので人間が自分たちの便利のために制定したものである。そうであるのに、時計のことを時間という人が居ると、こういったちぐはぐな状況が生まれることになる。
▼遅刻してきた人「今日、たまたま時間が遅れていて、ここに来るのが遅れてしまいました」
待っていた人「時間が遅れたんだ、それは仕方ないが、電車の時間が遅れたのか?」
遅刻してきた人「電車の時間は遅れていません。僕の家の時間が遅れていたのです」
待っていた人「家の時間が遅れるとはどういうことか?」
遅刻してきた人「電池とかなくなったりすると遅れませんか?」
待っていた人「お前の家の時間は電池がないと動かないのか?」
遅刻してきた人「それはそうでしょう。今の時間はだいたい電気で動いています」
待っていた人「お前、頭大丈夫か?アニメばっかり見てるからそうなるんだ」
遅刻してきた人「あなたの方こそ頭は大丈夫ですか?アニメに限らず、ほとんどの時間は電気で動いていますよ」


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885