文明論之概略を読んでいて1

買ったまま眠っていた福沢諭吉の「文明論之概略」を読み始めたのだけど、やはり、福沢諭吉は賢いなぁと思う。今は1/10くらい読んだ。

まず、やはり自分とは違う意見に対して非常に寛容である。とても柔軟な考え方で、序盤から、人の意見を排さず、かと言って肯定しないという、なんとも「曲者的」な、ある意味ではユーモラスのある、そういった福沢の人格がよく分かる。

俗に言うネット右翼の人の中にも、福沢諭吉の脱亜論に着目して、彼を神のように崇めていた人がいくらかいたのだけど、彼らは本当に彼の賢さが分かっていたのかと疑わざるを得ない。というか、やはり、その程度の人はその程度だったのか、所詮は一時の流行りだったようで、最近は福沢諭吉、もとい脱亜論という単語さえ聞かなくなっている。

また、福沢諭吉は、国体:Nationと政統:Poriticai Registrationと血統:Lineという、三つの概念の組み合わせとして国のことを論じているのだけど、非常に明晰だなと思った。今の俗にネット右翼と呼ばれる人たちも、これらのことに関して非常に関心が高いようだから、ぜひとも読んでほしいと思った。

途中にあった「自由の気風はただ多事争論の間に在りて存するものと知るべし。」とは、まさに名言と思う。

ただし、私の考えと違うところもある。というのも、福沢諭吉はいわゆる「(人類)進歩主義」の意見を根底に持っているからである。これは時代も関係あると思う。当時は、文明を進歩させることに弊害があるとは思わなかっただろう。とはいえ、福沢諭吉も今の人類の有り様、つまり地球を何個分も壊せる原子爆弾、己の身を危険にさらしてまで贅沢する原子力発電所、神の領域に土足で踏み上がるバイオ技術、人の幸福に貢献するはずが逆に人を振り回す経済、これらの「文明之弊害」を知れば、立ちどころに「止(とど)まるべき所」のことを考えるのではないかと思う。