精神異常者と人間社会

このように銘打つと色々と思われる方もあるかも知れないけど、まあ、この題名が最も相応しいと思う。

ただし、一言付け加えるならば、ここに書かれる精神異常者とは、およそ人間とは思えない人間のことで、中国古典においては禽獣(きんじゅう)、仏教では畜生、キリスト教では「真珠をやるとかみついてくる豚、神聖な肉をやってはならない野犬」、慣れ親しんだ日本の言葉で言えば、人の革を被った獣、と呼ばれる人たちとでも言っておこう。

こういった人間は、大体の場合サイコパス(先天的精神異常者、脳に生まれつき欠陥がある人)である場合が多いらしい。あるいは幼児期に慢性的な暴行を受けてもこのようになることがあるらしい。(話からは少し外れるが、嘘をつくことにより成功体験を重ねると、成人後にもこのようになることがあるようだ。もっともこれは、酌量の余地がない後天的なものである。しかし、不思議なことに彼らも、先天的に異常があるサイコパスとほぼ同じ原理に基づいて行動を取る。)

サイコパスの人は、脳に障害があるために、生まれつきに、「他人の苦しみ」を感じ取ることができず、ましてや、「そのようなものがることすら想像することができない」ようである。この他にも、人間社会において必ず必要とされる「信用」というものについても理解できない。

そのために、アチラコチラで嘘をつき、八面六臂の八方美人となり、そのことを悪いことであるとも理解できない。また、そもそも「人の苦しみ」や「人間社会の倫理」を「認識できない」から、「反省することもあり得ない」

ある研究によると、アメリカの性犯罪者、しかも再犯者のほとんどがこのサイコパスであるという。

なぜこのようなことを言い出すかと言うと、「絶歌」という本が出版されたからである。

著者とされる少年Aがサイコパスなのかどうかは分からないけれど、私が最初に示した定義に照らし合わせてみれば、彼は間違いなく精神異常者であろう。

さて、私が今回定義した「精神異常者」は、間違いなく「悪者」である。

また、こういった人々は、時には、精神が未発達の人の「ヒーロー」となり、時には「信仰からは程遠く、強固な意志も備えていない凡人」の好奇の対象ともなるだろう。ここに、凡人の好奇の対象としたけれど、こういったことに興味を示すのは、良かれ悪かれ人のサガ(性)であり、私はそれを責めはしない。かと言って、感心もしないし、褒めもしない。ただ、できれば、こうゆう類のものを好奇の対象としてほしくないと思うばかりである。

こういった精神異常者は、私が歴史を紐解く限りであると、いつの時代も存在したようである。つまり、敢えてこの言葉を使うが、現代では「マスゴミ」が、褒めることをしないで人の不幸ばかりを面白おかしく吹聴して報道してしまうから、こういった精神異常者の犯罪が「現代特有の犯罪」であるように思われるのである。

しかし、実際は、今も昔もこういった犯罪は常にあったし、むしろ現代の方が減っているかもしれない、というのが本当のところではないかと思うのだ。今まではそういった犯罪が、そもそも検挙されず、表面化していなかっただけであろうと思うのだ。あるいは野犬などの仕業、文字通り、禽獣の行いということで片付いていたのかもしれない。

というのも、人が凶行をするときは行き詰まった時であるからだ。それに精神異常が先天的にもたらされるとすれば、今も昔も人が人である以上は、ほぼ同じ割合でそういった人が存在するであろうからだ。

この上で、実は非常に興味深い事例がある。なんと、この「人類の敵」、そして何より「悪者」である、このサイコパスを世の中から完全に隔離するという壮大な「正義の行い」をした組織があるからだ。それもそう遠くはない近現代の出来事であり、もちろんサイコパスを見分けるのには、科学の粋を用いている。

このように話を進めると、「そのような偉大な組織があったのだろうか」と思われるかもしれない。けれど、「この正義の行い」をした組織とは、何を隠そうあの「ナチス」なのである。

私はこれ以上のことは分からない。ただ分かっていることは、「この問題が恐ろしく難しい問題である」ということだけである。