ネットを仮想空間、別の世界と言うな

世の中には邪説が蔓延して正説は退けられ、人は偏向を好んで正直を遠ざけ、多くの人は悪魔に親しんで神を疎んじる。

これは何も今に始まったことでなくて、荀子の時代からそうであるし、キリストや釈迦の時代から同じことである。

だから、ここに正論を言うが、ネットを仮想空間や別の世界と言ってはならない。

この前、「余裕、余裕」と叫んで、万引きやら何やらした少年Aは、「ネットの仮想空間」で反応があったからあのようなことをしたのだろうか。または、「ネットの仮想空間」で彼は注目を浴びたのだろうか。そして、「ネットの仮想空間」で犯罪を犯したから捕まったのだろうか。

どれも邪説であろう。

少年Aは、「ネットを通して事実として反応があった」から、かまってほしさに火が付き、変な動画を連続して投稿したのである。
また、少年Aは「ネットを通して事実として注目を浴びた」から、テレビでも報道されたし、自分が有名人になったと勘違いしたのである。
そして、少年Aは、「ネットを通して目的を達成するため、事実として犯罪を犯した」から、家宅捜索を受けて、恥を晒して捕まったのである。

だから、言うのだ「ネットは仮想空間でもなく、別の世界でもない」と。


では、ネットを仮想空間、別の世界、と思っている人間が一体何をするだろうか?

彼は恐らく、「ネットは仮想空間であるから」、ネットに誹謗中傷、罵詈雑言を書き残すだろう。例えばそれは彼にとって人形に向かって悪口を言ったようなものであり、何も悪いことをしたとは思わないだろう。ネットは別の世界で、画面の向こうに生身の人間はいないのだから。

彼は恐らく、「ネットは仮想空間であるから」、大げさなことばかりを言うホラ吹きとなって自分を常に誇大広告するであろう。例えばそれは彼にとってテレビの中の出来事で、自分とは全く関係ないと思うだろう。ネットは別の世界で、全てが現実の方法とは違うのだから。

彼は恐らく、「ネットは仮想空間であるから」、実際に自分が悪行の報いを受けないと思って、人を傷つけて軽はずみに発言するだろう。例えばそれは彼にとって夢の中で立ち小便をしたようなものであり、何も悪いことはしていないと思うだろう。ネットは別の世界で、そこではどんなことをしても許されるのだから。

だが、罵詈雑言、誹謗中傷を重ねれば、事実としてその人は卑屈な人間となって、画面を通さずともそのようなことを口にするようになるのだ。

誇大広告をしておれば、それは事実と食い違いがあるのだから、いつかは露見して大変な恥をかくことになるのだ。

悪いことをしておれば、悪いことを積み重ねることになる、悪いことを積み重ねれば、最後には犯罪となり、自身を滅ぼすこととなるのだ。

だから言うのだ。「ネットを、仮想空間、別の世界と言うな」と。