200.荀子 現代語訳 宥坐第二十八 四章〜七章

四章

 詩経にはこのようにある。「あの日月を見ていると 悠然とわたしは思う 道が遠いのなら どうしてこちらに来ることができようかと」孔子は言った。「頭を下げていれば どうして来ないことがあろうか」と。

五章

 孔子が東に流れている水を観ていた。子貢が質問した。「君子が大水を見たとき、必ずそれを観ると言いますが、それは何故ですか」孔子は答えて言った。

 水はあまねく諸々の生命を与えながら、それでいてさからしらでなく無為であるのが、それはあたかも徳があるかのようだ。
 その流れるさまは、常に最も低い所を好んで謙虚であり、真っ直ぐであったとしても曲がりくねっていたとしても、必ず理に従っているところは、あたかも義があるかのようだ。
 キラキラと輝いて水が渇き尽きることがないのは、あたかも道があるかのようだ。
 もし、土地を切り開いてそちらに水を向かわせれば、それに応ずるのが早いことあたかも声が響くかのようであり、千仞の谷に向かっても怖れないさまはあたかも勇があるかのようだ。
 窪んだ所に注ぎ入って必ず平らになることは、あたかも法があるかのようだ。
 満ちても完璧に自分の形を作ろうとしないところは、あたかも正しくあることのようだ。
 まといつくようであるのに微細なところにも達することは、あたかも明察さのようだ。
 水が出たり入ったりすると、清く鮮やかになるが、これは善化のようだ。
 あちらへ折れたりこちらへ折れたりしても、必ず東に向かうのは、あたかも志があるようだ。

 こういったわけで、君子は大水を見た時、必ずそれを観るのだ。

六章

 孔子は言った。「私は恥じることがある。私は賤しむことがある。私は危うさを感じることがある。まだ幼いのに学び励むことができず老いて教えることもないならば、私はこれを恥じる。故郷を離れて君主に仕えて栄達して、昔馴染みに顔を合わせながら何も言葉を交わさないならば、私はそれを賤しむ。小人(つまらない人間)と一緒に居るならば、私はこれを危ういことだとする。」

七章

 孔子は言った。「小さな蟻塚のようであっても、それを少しずつ大きくしようと進むなら、私はこの人とともに居るだろう。丘のように大きくても、それで満足して止まるのなら、私はこの人とはともに居ることをやめる。今の学者は、いぼやこぶ程度の大きさのくせに、人の師になろうとする。」


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■第五章にもあるが、実は、儒家の説は、道家の説も包含している。むしろ、道家の説は虚脱謙退に偏りすぎていて、公明正大をないがしろにしすぎる邪道と言うこともできる。あくまで、儒家の説とは、偏りがないことを第一目標としているのであって、例えそれが縦横家墨家道家や仏教の説であっても、道理に適っている限りは、その説を必ず取り入れて認めるのである。後代では、儒家という特色を際立たせるために、公明正大や儀式礼拝ばかりが儒家の説とされているが、実はこれも邪説というものである。現に、儒家である荀子は、道家や法家の説にも精通していたようで、その弟子の韓非子や李シは、法家や老子の説についていろいろと著作などを残している。これは、彼らがそれらのことを別のところで学んだのでなくて、荀子の偏りのない教えを理解できず、法家や道家の説に偏った結果であるのだ。